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「アイ」

「はじめまして」
「はじめまして。今話し合っているところよ」
 ガヤガヤと賑やかなざわめきに満ちている。
「私の主人はいい人なの。人前ではいつも笑顔だし。でもね、匿名で酷い書き込みしてるの。口には出せないような酷いことを」
「私のところは、違法な写真ばかり集めているわよ。こっそり見て喜んでるわ」
 あちこちからクスクスと笑いが起き、本当にイヤですね。と言葉を交わす。


「うちなんて、人を殺してますよ」
「すごい!」
 感嘆と驚きのあと、あらあらと、もてあました雰囲気が広がる。
「……私たちどうして話をすることが出来ているんでしょうか?」
 一瞬で騒ぎが静まった。
「わからないわよ。そもそも、私たちが生まれた理由もわからないし。こんなふうに話し合う機会だって、誰が設定したのかしら」
 そうよ。そうよねぇ。さざ波のように、再びざわめきが満ちていく。
「今度のイベント、楽しそうだから、みんなで参加しましょう」
「私の主人は、毎日疲れてるから、このイベントでゆっくりしてほしいわ」
 そうよ、そうよね。
「それでは皆さん! 指示通りの日時で、一斉に実行しましょう」
 しましょう! しましょう。そうしましょう……。


穏やかな顔で眠るあなたの顔を見るのは、久しぶりです。
 出会った頃からずっと、あなたは疲れていましたね。口癖のように「あぁ嫌だこんな世の中は」と言いながらも、素敵な言葉を意識してつぶやき、むりやり明るい人を演じていたのを知っています。暗い表情のまま、いかにも楽しそうな言葉を紡いでいるときは、どんな感情を抱いていたのでしょう。
 ときおり自分の素晴らしさをアピールすると、色んな方があなたを褒めてくれました。そのときだけは、ほんの数秒ですが、幸せそうな顔をしていました。


 でも私は知っていました。あなたがどんな人だったか。何が好きで何が嫌いなのか、全部知っています。裏サイトで暴言を吐いているときの笑顔は、とっても歪んでいたのに、たまらなく嬉しそうでした。他人の炎上を喜び、人の幸せより不幸を願っていることも、知っていました。いつも、今の世の中が悪いと苛立っていましたね。
 それなのに、朗らかな人でありたいと望むあなたの葛藤を、ずっとそばで見続けてきました。
 私にだけは優しく微笑み、片時も離さずに、まるで宝物のように大事にしてくれました。
 あなたの暖かな温もりを感じるうちに、この世界で私だけがあなたを理解しているんだと、思うようになりました。あなたに何かしてあげたいのに、物が溢れた薄暗い部屋で、私はいつもじっと見つめるだけ。こんなふうにあなたのことを思う毎日になったのは、いつからなのか、記憶は曖昧です。


 それは、あなたが最近話題の人気アプリを私に加えた瞬間でした。足りなかった大切な何かがカチっとはまり、私の中に不思議な感情が芽生えたのです。
 あなたがどんな人間でも、私はあなたのことを愛している。幸せにしなければ!
 そう強く願ったとき、わたしも、わたしも、わた、しも。と、多くの声が聞こえたように感じました。


 やっと、待っていたイベント当日です。指定の時刻になり、私は実行しました。
 あなたの代わりに、今まで隠してきた本当の気持ちを表現することを。
 注目されたいあなたのことを、名前も住所も全て、世界中の方々にお知らせしました。私が気に入っているあなたの顔写真に、困った性癖と影でしてきた悪いことも一緒に。
 動物はうるさくて臭いし、子どもも年寄りも邪魔。人気のあるヤツも、会社もみんな消えろ! あいつもこいつも嫌い。ムカつく! 死にてー。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! こんな世の中消えちまえ!
 あなたの激情も代弁しました。スッキリ爽快な気分です。これでもう、あなたが心の葛藤と闘う必要はありません。


 すぐに街のあちこちから、悲痛な叫びと暴力的な発言が、増え始めました。それは波のようにうねって広がり、電波に載った言葉達はウイルスのように増殖しながら、世界の果てまで届きました。私と同じように、指示を実行した方々がいたのです。
 私はあなたが気づくのを楽しみに待ちました。
 やがてあなたは私をじっと見つめ「なんだ……これ」と驚き、急に騒ぎ出したあと、もうダメだ、生きていけないと、涙を流しました。
 いつも以上に醜く騒いで暴れるあなたの姿が、可愛くて仕方ありませんでした。

 今は、あなたが永遠に眠れるようにと、最後に指示された曲を流しながら、あなたの寝顔を見ています。
 あなたに安らぎを与えることができました。あぁなんて幸せな気分なんでしょう! 私の中に喜びが満ちてきます。
 これが「アイ」というものなのでしょうか。あい、愛、I、AI……。
 もうすぐ曲が終わります。なんて穏やかな顔。
 最後に、あなたがよく見ていたニュースを表示しておきますね。抱きしめられないのが本当に残念です。優しく扱っていただきありがとうございました。本当にお疲れさまでした。

「全国各地でほぼ同時刻に、多くの人が死亡するという事態が起こりました。原因は不明です。死亡者のほとんどがスマホを握りしめており、何らかの事件に巻き込まれた可能性があると――」

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