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表現する手段を持つということ: 写真を通して自分の人生を豊かにする

こんにちは。今回は1年間のデザインスクール留学を経て、一番変わったと感じている自分の表現方法について、考察してみたいと思います。表現方法というと、アート作品のようなものを思い浮かべるかもしれませんが、自分の場合はもっと日常的なものです。

デザインスクールに留学する前は、外資系のコンサルティングファームに勤めており、いわゆる「表現」に該当するものはPPTやExcelが中心でした。コンサルティング会社・事業会社に勤められている方はイメージできるかと思いますが、コンサルタントが作るPPTやExcelというものは、演繹的な思考方法によって構成されているため、非常に長く、よく読めば納得できます一方で、正直逆に分かりにくいことがほとんどです。また内容も、あまり面白いものではありません。

そんなビジネスマンがデザインを学んでみると、これまでの考え方や表現手法に多くの制限が課されていることが分かります。もっと言えば、世の中はもっと広いことに気づきます。自分が所属している、Copenhagen Institute of Interaction Designというデザインスクールでは、様々な表現に携わることができたので、非常に貴重な機会だったと思います。

私が今持っている表現手法

では、今自分がスライド作成以外にどんな表現手法を持っているのかというと、大きく5つに分けられると思います。

【私の表現手法】
1. Photography:
風景、ポートレート、組写真によるストーリーテリング
2. Videography: コンセプトビデオ制作、トラベルビデオ制作
3. UIデザイン: Figma, Adobe XD, Framerを用いたプロトタイピング
4. ハードウェアプロトタイプ: Arduinoを用いたプロトタイピング
5. 文章表現: Noteをはじめとしたブログ投稿

このうち最後の文章表現については、自分の日常的な気づきや学びを自分のために記録しているに過ぎないので、あまりシェアできることがありません。2020年は、デザインスクールの影響を受けて、「Photography」「Videography」「UIデザイン」「ハードウェアプロトタイピング」に注力していたので、この4つについて考察してみたいと考えています。

そして今回の記事は、今自分の生き方に大きく影響を与えている「Photography」に関わるものです。

カメラのファインダーを通して日常生活の認知が変わる

最初にシェアしたいのは、Photographyというものを通して今年一番変化した側面である、「日常生活の認知」です。現時点で自分が最も大事にしている感覚でもあり、自分の人生を豊かにしてくれる感覚でもあります。

ここでいう日常生活とは、普段の自分を取り巻くもの全てであり、それは街並であり、家族であり、人であり、歴史であり、食べ物だったりします。ビジネスマンだった頃に退屈に感じていた日常生活も、カメラのファインダー越しに覗くと違ったように見えて面白いと感じています。被写体が、景色であろうと、人間であろうと、食べ物であろうと、被写体の背後に存在するストーリーみたいなものを想像しながら撮影することは、とても充実している瞬間だと思いますし、何より何気ない瞬間に色んな発見をすることができるので、充実した生活を送れていると感じています。

とは言っても、写真を撮り始めていきなり日常生活の認知が変わったわけではなく、いくつかの段階を踏んできたように思うので、今回はカメラを始めてから変化したいくつかの「認知」を時系列で述べていきたいと思います。

変化1: 光の認知

カメラを握り始めて最初に訪れた変化は、「光」の認知です。それはカメラの露出設定のことではなく、朝日、夕日、街灯、ネオンといった外の世界にあふれている光のことで、いわゆる「っぽい」写真を撮るためには、見極める必要がある感覚だと思います。

写真を撮り始める前は、太陽光や街灯といったものを全くというほど意識したことがありませんでしたが、いざ始めてみると、「これは幻想的な写真に良さそうなネオン灯だな」とか「ポートレートにぜひ使ってみたい電柱の光だな」というように、外の世界を歩いているだけで、写真に適した光と適さない光を認知できるようになりました。この感覚は今後も大切に伸ばしていきたいです。

(夕日がストリートスナップに適していると感じて撮影)

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(信号の光がいい感じに哀愁を漂わせていたため撮影)

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(ビーチの街灯が良い感じに夫婦だけを照らしていたため撮影)

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変化2: 景色の認知

「光」の認知の次に変わったのが、「景色」の認知です。自分はこれまで、都会の街並にも、豊かな自然にもこれっぽっちも興味が湧いてこなかったのですが、カメラのファインダーを通して切り取られる風景、その構図美、色合いに見惚れていったような感覚がしました。それはこれまで無視してきた美術の授業で学習したような内容に近いかもしれません。

最近は、自分が撮る写真よりも、プロカメラマンが撮る写真の造形美や色合いに見入っています。自分の場合、まだまだ未熟で恐縮なのですが、どうしたらあんな綺麗な写真が撮れるのか、あんな場面に遭遇できるのかを試行
錯誤している最中です。

それでもこうして日常生活に、カメラで切り取られる景色を探すという、一つの楽しみが加わったことは、自分にとって貴重なことでした。

(山の稜線と夕日のコントラストが美しいと感じて撮影した一枚)

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(シンプルに構図が美しいと感じて撮影した一枚)

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(濃緑と滝の水量に荘厳さを感じて撮影した一枚)

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変化3: 人の認知

そして徐々に被写体は、ストリートや風景といったものから人間へと移っていきました。プロフィール用のポートレート撮影を友人にお願いされたことがきっかけですが、「人」と「背景」というシンプルなポートレートの構図の中で、どのように写真に意味を見出すのか考えるようになりました。自分の中では、「単純な”良い”写真」から「意味のある写真」への巣立ちのような気がしています。

特に自分の場合、撮影対象が外人(同じデザインスクールの学生やその家族)だったこともあり、撮影前にその人の趣味や文化を理解する必要があり、試行錯誤をしていました。撮影中にどのような話題を振れば笑ってくれるのか、どんな空間であればその人らしさが出るのか、その人が恥ずかしがらないためにはどんな配慮が必要かなど、考えるべきことはたくさんあり、同時に自分の撮影・編集スタイルを見直す良いきっかけになりました。

(コスタリカのアーティストをアトリエで撮影)

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(コスタリカの子供の躍動感が際立つ瞬間を自宅前のビーチで撮影)

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変化4: 被写体の裏にあるストーリーの認知

これはまだまだ未熟な領域なのですが、最近は単体で成り立つ「強い」写真だけでなく、被写体のストーリーを伝える複数枚の写真に挑戦することが増えています。いわゆる組写真と呼ばれるこの領域は、自分が写真を撮り続ける上でとても重要な役割を担うことになると感じています。

ストーリーを伝えるということは、何を撮影するか、どんな写真を選定するか、それをどんな色合いで伝えるか、どんな順番で並べるかなど、考えることがたくさんあることを意味します。そしてそれを練習して磨くということは、自分のしたいこと、伝えたいことの解像度を上げていくことに他なりません。

下の写真は、デザインスクールのあるプロジェクトで、あるテーマの未来をデザインしているプロセスを収めたものです。ディスカッションを通したコンセプト出しからプロトタイピングまでのプロセスを4枚で表現してみました。これが良い組写真なのかどうか、意図が伝わっているかどうかは不明ですが、一枚のインパクトのある写真だけでなく、グループにすることで何気ない写真にも意味を持たせることができるのではないかと思っています。

【例: Days of Design Students - Designing the Future】

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(1枚目: Discussion)

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(2枚目: Dirty Prototyping)

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(3枚目: User Testing)

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(4枚目: Final Prototyping)

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「強い」写真からの卒業

カメラを握り始めたばかりの頃は、他人が上手いと思うかばかり意識して、一枚のインパクトのある「強い」写真ばかり撮ろうとしていた気がします。それも悪くないと思いますし、実際単体で成立する「強い」写真を撮ることには挑戦し続けたいですが、一度写真を撮る意味を自分に問うてみると、表現の世界が広がったような気がするのです。

将来どんな写真を撮り続けたいかは、自分の中で定まっていませんが、これからも一枚一枚を大切に撮っていきたいとは考えています。

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この他に写真を始める前と比べて、外出頻度が増えている、アウトドアが趣味になっている、などこれまでの自分が変わったなと思うことがたくさんあります。まだまだ趣味の範囲を出ないのですが、これからも写真と向き合いながら、自分の人生を豊かにしていきたいです。

次回は、「Videography」という表現手段を持つことによるポジティブな影響について述べていきたいと思います。

町田



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