田舎自治体は生殺与奪の権を他人に握らせるな

私は「コンサルタント」と聞くだけで嫌悪感しかない。きっと田舎の自治体を食いものにする都市のコンサルタントを数多く見てきたからだろう。田舎のセミナーとかイベントのパネルディスカッションとか見ても然り。胡散臭いやつしかいなくて辟易する。

「地方創生」は何年も前から国家の至上命題である。しかし、これを成功させた例はほとんどない。いかにこの問題が難しいことであるかがよく分かる。田舎自治体はこの問題にそれぞれ立ち向かっていることになるのだから、素人同然の担当者や幹部はそれは苦しいこと思う。

コンサルは自治体担当者がスペシャリストではないことを知っている。また、首長を含め虚栄心のかたまりである田舎者の特性をよく理解していると思う。田舎は都市が勝者だと思い込んでいる。その為、都市にある最先端の理論があれば成功すると短絡的に思っている節がある。だからコンサルのいうことを鵜呑みにして簡単に高額な委託契約を結んでしまうのである。

実は、田舎の自治体は本気で自分達の街をなんとかしたいと思っている訳ではない。首長を含め、ある種の既得権益で守られている彼等は、自治体の人口が増えようが減ろうが自分の身には影響しない。首長の報酬を何割カットしようともそれは報酬を下げることでイメージアップを狙ったパフォーマンスである。現に自分の公約に対するコミットメントに対して報酬を何割減らしたとかいう話は聞いたことがない(マイナスイメージに繋がる減俸のリスクは負わない)。つまりは責任を本気でとろうとするものはそもそもいないのである。コンサルはこの部分も理解していて、結果が出ようが出まいがとりあえずやることに意義があるとささやく。失敗したら成功事例は僅かであるといい、その為には何十年と続けることが必要だと言う。こうして、責任の所在のない泥沼のレースを何度も何度も学ぶことなく繰り返すのである。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな」とは鬼滅の刃の冨岡義勇の言葉。考えることをやめて他人に丸投げするということは自分の生死をその人に預けたという事である。住民が首長に、首長がコンサルタントに救世主的に救いを求めることも同じである。

我々はどんなに優れた人であっても自分以上に考えてくれる人はいないと思った方が良い。東京に魔法使いはいないし、その魔法使いが突然現れて自分の街を劇的に変えてくれることはない。魔法使いにとって何の得にもならないことはそもそもしない。だからそういうビジネスに群がってくるコンサルタントはまともではないと認識すべきである。

私は「人口が減少し、地域に人材がいない」といった類の言葉が大嫌いである。これは単なるいい訳に他ならぬ。人材がいないと他者に救いを求めることは考えることを放棄していることと同じ。例え某大手球団のようによそからいい人材をいくら集めようとも、もっともっと欲しくなるだろうし限界もこよう。そんなことより今いる人材で最大限効率よく能力を発揮できる仕組みや環境を整えることが急務だ。新しい人材を欲するくせに、人材の流出には非常にうとい。この本末転倒ぶりに早く気づいて欲しい。「隗より始めよ」とはよくいったものである。

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