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渡部颯斗という男

整ってる男、颯斗くん。

実習先で一緒になった。

とにかく颯斗くんは整っている。毎朝4時半には起きて、7時には勤務校の最寄り駅に着き、1時間スタバで作業する(もちろん、マイ・タンブラー持参だ)。そして8時過ぎには学校に着く。本日のスケジュールを確認、着替えを済ます。8時半の朝会には、あのいつも通りの爽やかな笑顔を浮かべ同僚たちの前に現れる。

机の上には何やら難しそうな本と、Mac、整理された書類たち、そしてランチバック。そう、彼はこの朝活をしながら朝お弁当まで作っているのだ(ランチバックはブルーボトルのオシャレなやつだ、もちろん)。

そして規則正しく整理されているのは、彼の頭の中も例外ではない。

notionと呼ばれる作業効率アプリがある。そこに、ありとあらゆる彼の思考が整理されている。日々の時間管理、タスク管理、To doリスト、さらには家計簿、読書記録、研究論文整理、論文執筆のプロセス整理、整理、整理、整理…。

彼の日々の行動は、こうした自己管理の元、徹底的にルーティン化しているという。曰く、「考える時間が勿体無いんだよね」。

彼は、「考えていない」のだろうか。いや、そうではない。考えるところを、焦点化している。

彼はこのまま進学しドクターを目指している男である。博士課程である(医者のドクターではない)。つまり、大学教授。

誰よりも「考えて」いそうな職業だ。大学教授なんておそらく大多数の人からすれば、難しいことを「考えて」いて、いつも「頭を使う」。そうした職業に思える。

そんな人の毎日の生活が、実は「考えない」ことを意識している?

この逆説的な状況を目の当たりにする時に、いつも思い出す小説のワンフレーズがある。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。
笠原メイという女子高生がいて、田舎の工場で住み込みで働いている(彼女が自分でそうする事に決めた)。そこでの毎日の様子を、主人公に手紙で伝える場面である。

「…いちど決心して日記をつけようとしたんだけれど、書くことがまるでなくてけっきょく一週間でやめちゃいました。だってくる日もくる日も同じことをくり返しているだけなんだものね」

「でもそれにもかかわらず、それにもかかわらずです、自分がこんな風に仕事の一部みたいになっていることにたいして、私はぜんぜん悪い気持ちを持っていません。イワ感みたいなものもべつに感じない。というより、むしろ、私はそうやってアリさん的にわきめもふらず働くことによって、だんだん「ほんとうの自分」に近づいているような気さえしちゃうのです。なんというのかな、うまく説明できないけれど、」

「自分について考えないことでぎゃくに自分の中心に近づいていくというみたいなところがあるのね。」


笠原メイと、渡辺颯斗はなにか気づいている。


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