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「議論」——あるいは、いかにして問題を解くか。

何か話し合いをするとき、間違いなく最終的に「〇〇とは何か?」という問いが出てくる。例えば、「「ヤバい」という語の流行は言葉の進化か退化か」という話し合いをする。最初は各自が自分が持っている考えをぶつけ合うだろう。そして、両方の考えにも一理あることは理解する。その後必ず、じゃあ

「「退化」ってなんだ?」って出てくる。「「言葉が進化する」ってよくよく考えたらどういう意味だ?」と。言葉を正確に定義しなければ議論が進められない段階が必ず話し合いをしているとくるのである。ここでの対処法はいくつかある。まず有効なのは、「分けてみる」ことだ。

言葉が退化しているか、進化しているか、全体的に考えるとよくわからない。じゃあ、「文化的な側面から」考えてみたらどうだろうか。あらゆる感情がヤバいという一言で表されてしまうことは、語彙を貧しくしてしまっているのではないか、だから「文化的には」退化しているといえるだろう。と、議論が進みだす。

そしてまた、「目的から逆算する」ことは議論を進める上で有効である。書き言葉において誰かに何かを伝えたいという目的を考えたときに、ヤバいしか使えないという状況は明らかに「退化」だ。しかし話し言葉において、雄大な景色を前にして、友達に自分の感情を伝える際、ヤバい

という言葉を使うことは必ずしも「退化」とはいえない。学校でいえば話し合い活動、ディスカッション。会社でいえば会議、ミーティング。議論はさまざまなシチュエーションで起きる。その際、①議論の射程を分ける②目的を明確にすることが個人的にはまず、大事だと思えてならない。

そういえばこの本、数学科の友達に教えてもらったやつだけど、勉強になったな。この記事の考え方も、割とここから影響受けてるかも。

国語がずっと好きで数学が苦手だったから、こういう思考は苦手だったけど、結局両方必要なんだよね。最近は論文を読むことも増えて、尚更そう思います。

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