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自己と他者

コミュニケーションって正解はない。自分が上手く振る舞えたと思っても、いやもっと上手くできたんじゃないかとすぐ思える。昔から「あの時こう言えば良かったな」と後で反省することがよくあった。くよくよと振り返って、悔しがる。はたしてこれは「良くない」習慣だったのだろうか。

少なくとも、「くよくよ」が上手くコントロール出来ないうちはよく悩んだ。あの時あの場所であの一言が言えなかった自分を恨んだ。その悔しさをいつからか忘れてしまっていたが。最近、ふとしたことでまたその悔しさにぶち当たった。

この悔しさに当たり前のように日々真正面からぶつかり、噛み締めることが大切なのではないか。この悔しさがあることを気づかせてくれる。コミュニケーションに完璧など「あり得ない」。他者との了解不可能性にまた気づく。

そしてそれに気づくことができたら、反省ができる。そして対策し、修正することができる。次に活かせる。「明日はせめてもう少しだけ、上手く振る舞えるかもしれない。」そうやって進んでいく。悔しさを味わう人、「くよくよ」する人にしか、この過程を踏むことはできない。

すなわち「くよくよ」とは、他者との了解不可能性と直視しながらしかしそれでも昨日の自分より少しでもましな人間になるために、その現実から目を逸らさない行為であると言える。それはひとえに、あなたの「優しさ」から生まれる。その悔しさに誇りを持って欲しい。くよくよ悩んで、こんな自分馬鹿みたいって。そんなことない。それはあなたの良いところなんだから。

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