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何でもやってあげるのが良い人ではない

いつ以来か思い出せないくらい久しぶりに手紙を書きましたが、手書きで文章を書くことの難しさを知ると同時にワードの偉大さを改めて思い知りました。#ワード作った人多分天才

こんにちは、コッシーです。


さて、こんな事を自分で言ったら世話ありませんが、多分僕は世間的にみると良い人の部類に入ると思います。

自分で良い人と言うヤツが良い人なわけないだろと思われる方もいるかもしれませんが、自分で言ってるだけではなく、スタッフや入居者、そしてご家族からも言われることがあるので、おそらくそこそこ良いヤツだと思います。

特に裏があるわけでもなく(腹黒い時もありますが)、別に見返りを求めてるわけでもなく、単純に良いことをすると相手が喜んでくれるのでそれが嬉しいだけなんだと思います。

こんな風に書くとまるで聖人のような感じですが、僕も怒る時は怒るし、ムカつくことがあれば態度が悪くなったりします。

ただ自分の出来る範囲で自分が出来る事であれば、出来るだけしてあげたいと思っています。相手が全くの赤の他人にはさすがにそうは思いませんが、僕と関わり合いのある方にならそうしてあげたいと思います。

それは利用者に対しても同じ気持ちでして、料金をもらうからとかお客さんだからとか関係なく、助けてあげたいと思っていますし、助けているつもりです。そんな僕に利用者は笑顔で「ありがとう」と言ってくれますし、僕への信頼感が高まっていくのを感じて、本当に嬉しく思っていました。


うちの入居者のKさんは車イスを自走して移動されています。

以前までは何の問題もなくご自分で車イスを操作し、居室から食堂まで来れていましたが、ここ最近はそのスピードがゆっくりになっており、少し自分で車イスを動かすのが辛そうな感じでした。

一生懸命車椅子のハンドリム(タイヤについている回すとこ)を押して移動している姿を見かけた時は後ろからそっと車椅子を押したりしていました。

Kさんは「助かるわ。ありがとう」と言われていました。僕も良いことをしたと思っていました。


しかし、今日ある介護スタッフからこんな風に言われました。

「Kさんの車イスですが、心苦しいかもしれませんが押さないでください。私たちは押したい気持ちをグッと堪えています。押すのは簡単ですが、それが果たしてKさんのためになるのでしょうか。

Kさんのためを思うのなら、今後もKさんが自分で車イスを操作できるようにしてあげるべきじゃないでしょうか。

Kさんが、『コッシーさんは親切だけど他の人はダメね。優しくない』と言われているのを知っていますか?

何でもやってあげる人が親切で、Kさんのためを思って堪えてる人が不親切。本当にそうでしょうか。

同じ職場で入居者のことを考えて仕事しているのに、Kさんの言葉を聞いて悲しくなりました。

失礼な事を言って申し訳ありませんが、一度考えてください。」


僕は本当にバカです。

「入居者のために何でもやってあげてる自分は良いヤツだ!」なんて、おめでたいにもほどがあります。

なにが地域統括責任者だ、自分の職場も統括出来ないヤツが地域を統括できるはずがありません。

介護の基本は自立支援です。ご本人の残存機能を出来るだけ活かして本当に出来ない部分を支援するのが普通です。

今回の件でいうと何にも考えずに車イスを押してあげる僕よりも出来るだけ自分の力で車イスを操作できるようにあえて押さない選択をしているスタッフが100%正しいと思います。

もう一度言います。僕はバカです。

入居者のためにもなってないし、スタッフにも悲しい想いをさせている僕は本当に優しくない大バカ野郎です。

でも僕のいいところは反省して改善に動くところです。能天気でバカな男ですが、悲しむ人を放っておくマネは絶対にしません。

まず、スタッフには言いにくい事を言ってくれてありがとうと礼を言いました。そして悲しい気持ちさせてしまってごめんなさいと謝罪しました。

Kさんのことを考えたら僕よりもスタッフの行動が正しいということを伝えて、今後Kさんへの対応を具体的にどうしたらいいかを話し合いました。

Kさんの対応にある程度の基準を設けて個人差が出ないようにしました。


何でもやってあげる事は一見親切なように見えて良い人に思われがちですが、それが本当にその人のためになっているかはしっかりと考えないといけません。

優しさの意味をはき違えないように注意しないといけないとスタッフから教えてもらい本当に感謝です。


現場からは以上です。それではまた。

コッシー

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