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【Simple】

「5月から自由に外出できるって聞いたけど本当ですか?」


ある入居者からそう聞かれて僕は返答に窮した。
5月8日に新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが現在の2類からインフルエンザと同じ5類へと移行される。
それに伴いあらゆる規制が緩和される見込みだ。

連日ニュースや新聞などでも報道されており、入居者も目にしたのだろう。
インフルエンザと同じ扱いとなれば以前のように制限なく外出できると思うのは当然だ。

もちろん、以前の日常に戻れたらとても素晴らしいと思っている。ただ現実はそんな簡単にはいかないな、とも思う。
市内では未だ100人を下らないペースで連日感染が確認されている。
うちのスタッフや利用者でも感染された方もいる。
付き合いのある老健ではコロナに感染し亡くなられた方が最近おられたと聞いて胸が痛んだ。

「うーん、まだ分からないですね。その時の状況次第かな」

『自由に』外出なんて出来ないことは分かっていたけど、入居者の期待を裏切りたくなくて言葉を濁す。自分のズルさに嫌気が差す。

おそらく5月になっても以前のように自由には外出は出来ないだろう。だけど今よりは規制は緩和されているかもしれない。本当に状況次第だと思う。ただ施設としての基準は絶対に決めなければならない。
難しい判断だな、と悩む。


それよりももっと悩んでいるのが利用者数がなかなか伸びていないことだ。
営業活動は続けているが思った以上に数字が伸びておらず本当に頭が痛い。
まだまだアプローチが足りないとも思うが、市内に新しい施設が乱立していることも原因の一旦だと思っている。

このままではいけないと思いながらも何をするべきかはっきりと決めることができない。
現状の限られた資源の中で精一杯頑張るのか、それとも新しく投資をするべきか、またはその両方なのか。答えが見つからず頭の中でグルグルと考えている。


頭を悩ましている中で、来年に迫っている介護保険改正のセミナーに参加した。
登壇された講師の方が「今回の改正は業界に激震が走ります!」と声高に叫んでいた。
普段なら「熱いなぁ」と冷めた目で見ていたと思うが、今回はかなり心がざわついた。
どうにかしなければ…と思っていた気持ちに拍車がかかり、より一層不安が高まる自分がいた。

どうする?どうすればいい?どうしたい?
…どうしよう。
考えて考えて考えても答えはまとまらず、焦る気持ちだけを募らせていた。

そんな時、会社に一本の電話が入った。

「コッシーさん、Kさんからお電話です」

Kさんと言う人物に思い当たる人はいなかったが、これまでに会った入居者の家族や関係者の誰かかと思い電話に出た。

「実は私、○○エージェントのKと申します」

低い声でそう言ったKさんという人物はエージェント会社の営業だった。
なんと僕をヘッドハンティングしたい会社があるとのことだった。
過去に僕と一緒に仕事された方が僕を推薦してくれたらしく、ある会社の人事部門の責任者として働いてみませんか?というお話だった。

もちろん転職する気なんて全くなくすぐに断ろうとした。しかしKさんから言われた言葉が僕の心に波紋を広げた。

「介護業界もいろいろと大変かと思います。今後を考えてもなかなかに厳しい業界かと思います。どうですか?介護以外の業界に一度目を向けてみませんか?」

介護業界以外の仕事なんて考えたこともなかった。
これまでもこれからも自分はここで生きていくと勝手に決めていた。
しかしここ最近のモヤモヤが僕の判断を鈍らせた。

結局、後日また連絡することになり電話を終えた。
自分がどうしたいのかよく分からなくなっていた。
頭の中はさらに混沌としていた。


いろいろな問題に答えを出せないまま数日が過ぎた。
施設では相変わらず入居者たちが5月以降について話している。
規制はなくなるのか、まだ感染者がたくさんいるから怖い、マスクは外せるのか、買い物は自由に出来るのか…など思い思いに語られている。

ある1人の入居者は「コンビニのスイーツが食べたい」と言われた。
どうやらたくさんあるコンビニのスイーツを店内で吟味し、そしてその日の自分の気分で好きなスイーツを買って食べたいとのことだった。

その方の気持ちはとてもよく分かった。
コンビニの商品は本当にバラエティに富んでいて、僕もその場の気分で購入する商品を決めることはよくあった。

素敵だな、と思った。それと同時にコンビニなら5月を待たずとも今すぐにでも行けるんじゃないかと思った。

「感染予防すればコンビニに行っても大丈夫ですよ。」

深く考えず僕がこう言うとその方は首を横に振った。

「マスクで顔が隠れていると落ち着かないんです」

その方は精神疾患を患っている。
気の知れた僕らや他の入居者とは普通に接することができるが、初めましての方と会うと不穏になる。
特にコロナ禍でマスク姿が当たり前になった中で、店で店員さんや他のお客さんの顔がマスクで隠れていると気になって気持ちがざわついてしまうとのことだった。

「だからマスクをしない世の中になった時にまたコンビニに行こうと思っています」

その方は笑って話されていたが、無神経な事を言ってしまったと後悔した。

マスクをしない世の中、いつか来るのだろうか。
いつかは来るのかもしれないが、店員を含め全員がマスクをしないとなるときっとかなり先だろうなと思う。

「近いうちに来ると良いですね」

そう言って言葉を濁した自分がまた嫌になった。


スタッフミーティングしている時にふとこの事を思い出してみんなに伝えた。

「マスクが完全になくなるのは難しいかもしれないね…」

そう寂しく話す僕にあるスタッフがこんなことを言った。

「別にコンビニに行かなくても、うちでスイーツ売れば良くないですか?ってそれはさすがに無理か(笑)」

半分冗談、半分本気なトーンでそのスタッフは言っていたが、その言葉に僕はカミナリに打たれたような衝撃を受けた。

マスクがなくなる日なんて待たなくていい。うちでスイーツを売る、たったそれだけの話だ。

何を難しく考えていたのだろう。答えはすごくシンプルだった。
頭の中でぐちゃぐちゃに絡み合っていた糸が少しずつほぐれていくのが分かった。

僕はすぐに『出張コンビニ』を企画提案した。
コンビニでいくつか商品を購入して、施設内に陳列すればそれっぽく見えるんじゃないかと思った。
どんな商品を並べるか、衛生面や食事制限、支払いの問題等々…いろいろと課題はあったが、まずはとにかくやってみようと思った。


やってみて問題があれば修正していけば良いし、どうしても難しければやめればいいだけの話だ。賞味期限の短い商品が売れ残ったらスタッフで分ければ良いし、賞味期限の長い商品は次回に回せば良いだけだ。難色を示すスタッフもいたけど、全て自分が責任と取るからと強引に話を進めた。


先日の日曜日だった。
出張コンビニを施設内にオープンさせた。

スイーツ棚
お菓子棚

コンビニと言うにはあまりに質素で味気ないかもしれない、それでも今できる範囲でやれるだけやった。
入居者たちが喜んでくれるか不安はあった。
「え?こんだけしかないの?」とガッカリさせてしまうか心配だった。

開店時間が近づく。1人、2人と入居者が来店される。
並べられた商品を見て顔がほころぶのが分かった。
少し安堵してお店を開店させた。
開店と同時に次々と入居者が訪れる。

「シュークリームとバームクーヘンどっちにしよう!?」
「もうちょっと小さい大福はないの?」
「やった!ヨーグルトもある!」
「大きいお金で払ってもいい?」

みんな大きな声を出して興奮していた。
久しぶりにこんなに楽しそうな入居者を見た。

商品を選んでいる顔が本当に楽しそう
「あなたどれにする?」と話し合ってる人もいた。
会計もその場で支払ってもらった

入居者たちの楽しそうな姿を見てスタッフも嬉しそうだった。
ここ何年かで1番騒がしい日曜日の午後だった。

楽しかった。
心の底から楽しかった。
楽しすぎて気を抜くと涙が出そうだった。

青臭くて嘘っぽいけど、『入居者やスタッフが笑顔になること』やっぱりこれが1番だと確信した。
そしてきっとこれが僕の生きる道だとそう思った。


コンビニでスイーツを選びたいと言っていた入居者が僕のところにやってくる。

「今日はありがとうございました。楽しかったです。今日私が選んだスイーツです。良かったら食べてくださいね。」

そう言ってシュークリームを僕のところに置いていった。
あなたのおかげでみんなも楽しめました、と心の中で呟き「ありがとう」と受け取った。


5月以降のコロナ対応や経営的な問題、来年の介護保険改正などあらゆる問題は一つも解決していない。
でも僕の心にあった不安や迷いは薄れていた。
僕は僕のやれることをやるだけ。ただそれだけだ。

まずはKさんに断りの連絡を入れよう。
そう思いながらクリームたっぷりのシュークリームをガブリと頬張る。その勢いで生地からたっぷりのクリームが飛び出す。
慌てる僕を見てみんな笑っていた。





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