友人が”正しくないこと”をしていると知ったら、あなたはどうしますか?
先日、あさイチを見ていて黒柳徹子さんが自身の戦争体験を振り返ってこんなことをおっしゃっていました。
だけど、当時を思い出すとそれは間違っていたと言うのです。
この放送を見ていて思い出したことがあった。
皆さんは、友人のグレーな行為を見聞きしてしまったことってありませんか?
例えば、友人が昼間の作業中にビールを飲んだ後に夕方運転してることを知ってしまった時。
または、友人親子と会っている時、イタズラをやめない子どもに怒った友人が子どもを軽く叩いたのを見ちゃった時。
もしくは既婚の友人が、夜な夜な別の異性と会っていると聞いた時。(しかもその相手にも家庭がある)
あとは専業主婦の友人が、”たぶん”まだ扶養範囲内の売り上げしかないから確定申告していない、とかね。
きっと、その状況を厳密に突き詰めれば限りなく黒に近いグレー、という話。皆さんは遭遇したことありますか?そんな時はどんな反応をしますか?
私はすぐに返す言葉が見つかりませんでした。
というのも、自分には「弱者に厳しい社会は許せない」という割と強めの正義感があって、そのせいか常にどこかで「正しい世界だけ」を求めている節があります。だから、色々聞いて「グレーじゃなくて黒じゃん」と思えば、大抵の場合は「それは間違っている」と言ってしまうし、そのせいで相手が気を悪くして離れていったことも度々あります。そしてそれは仕方がないことですし、そういう価値観が全然噛み合わない人とはやはり長く付き合うのは難しいだろうと思うのです。
ただ一方で、上記で挙げたようなことって、程度問題な気もしませんか?
例えばビールを飲んでいても4時間でアルコールが抜ける人は存在するし、子どもに手をあげることはいけないけど、注意を向けるために音や体に触れることが伝わりやすいことは確かなわけで。そもそも「ツッコミ」が「暴力」と認識されていないこの国でその線引きはまだまだ曖昧なものだと感じます。異性との交際だって、今も昔も”どこからが浮気になるか”論争は尽きないですし。飲酒運転だって、時代を経て禁止されるようになったわけで、そう考えると、今正しいことが明日正しいとは限らないでしょう。正と悪を分け隔てる評価軸が移ろいゆくものだとすれば、世の中は、100%黒でも白でもどちらでもないことの方が多くて人間はいつだってその揺らぎの中で生きていると言えます。
基準が完璧じゃない以上、人は皆完璧ではない。
全てにめくじらを立てて過ごすわけにはいかない。
でもこの投稿を書いている本当の理由はそんな「何も言わなかった自分」を正当化するためではなく、「何も言えなかった自分」を後ろめたく思っているから。
そう、本当は言いたかった。「今はちゃんとアルコールが抜けたことを自覚できているかもしれないけど、急いでいたらいつもは抜けるまで待ってた時間が待てなくなるかもしれない。そうやって危険因子を増やしていくことになる。運転するならいつもはノンアルビールにしといた方が良いですよ」と。でも言えなかった。
「気をつけてくださいね」
それが精一杯だった。
その時の自分は、結局相手を非難して楽しい雰囲気を台無しにしたくない、とか、周りの人にもドン引きされたらどうしよう、とか保身に走ったんです。
年を重ねることで鈍感になって正しいと思うことを臆せず言えるようになったと思っていたけど、私にもまだそのような「周りの目」や「空気」を気にする自分がいたことに無自覚だった。
まだまだ弱いというか、逆に年を重ねて「結局自分に直接被害が及ばないなら、まぁ知らんぷりでもいいか」と社会への影響に対する鈍感さが育っちゃったのかなと自分に対して残念な気持ちになりました。
でも次にお話しする機会があればもう一度この件について話してみたいと思います。
正解がない問題ですが、皆さんならこういうとき、どうしますか?
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