3.阪急交通社時代(1997~1999)

1. コンテンツビジネスへのチャレンジ

2. 就職活動(1996~)

なんか自分史を作るみたいでコンテンツ作りとはかけ離れていきそうですが、続けます。

阪急交通社に入社しましたが、配属された部署は「国際輸送部門」。
旅行会社のイメージが強い同社ですが、「旅客部門」と「国際輸送部門」が併存していて、シェアも半分ぐらいの会社でした。

今は、「国際輸送部門」が阪急エクスプレス。今は阪急阪神エクスプレスになってるかと思います。

旅客部門が人を運ぶ仕事に対して、国際輸送部門は企業の荷物を海外に届ける仕事になります。

今振り返ると、内容薄く、ただただ長時間働いたなあ~って印象です。
「二十四時間働きますか?」は極論にせよ、みんな残業あたりまえ~。

みたいな職場環境でした。
自分の仕事が終わっても、周りに人に
「なんかやることないですか?」
って聞くんですよね。いや、聞かなければいけない雰囲気。

すると、
「じゃあ、これやって!!」みたいなんが来るんですよ(汗)

しかも、それ今、やること???
みたいなことが。

そんなこんなで日付を超すに近い時間まで仕事をすることもありました。
今では信じられないけど、まあ、それはそれでよい経験かな・・・・。

でも、日中はそれなりにサボってましたよ。
神戸で営業をしていましたが、よく湾岸の第一突堤なんかに車を止めて
寝てました(笑)

たいした成果も出せないダメ営業マン(まあ、新人時代はそんなにも期待もされていなかったのかもしれませんが・・)。

それでも給料をもらってたある意味ぬるま湯時代です。

そんな良い面には気づかずに、長時間労働だったり、先行きに不安を覚えて、あっさり会社を辞める決断をするのですから若気の至りとも言えるのかもしれないですね・・。

ボンボンと言われても仕方ないのですが、父親が宝石の卸問屋を経営していたので、それを手伝うという道があったんですね。。

そんな環境がなければ、辞めるという選択肢はなく、今でもきっとサラリーマンをしていたかなって思います。

もちろん、家業の経営状況だったり、将来的なことなど一切考えずに。
ただ、今楽できればそれでいい。

ほんとに甘すぎますよね。

でも父親としては息子のそんな背景いざ知らず。
帰ってきて手伝ってくれる。

それは嬉しかったと思います。そういった意味で親孝行できたのかな・・と。まだまだ父親は高齢ですが健在。

まだまだ親孝行しないといけないなあ~とは思いますが。

わずか3年のサラリーマン生活の中から今に役立っていること。

うーん、批判を恐れずに言うと、
「ブラインドタッチ!」笑

今の時代では信じられないと思いますが、僕は社会人になるまで、パソコンの類はほぼ触ることができませんでした・・汗

会社の上司に社内のイントラネット?の説明を受ける時に
「マウスって何ですか?」で聞いたぐらいですから(笑)

その自分が今、20年ほどの月日がたって、インターネットを駆使して、日々
パソコンの前に座ってるのですから世の中わからないものです。

でも、そのブラインドタッチの技術は、相当今に活きてます。
かなりの自信ありです(笑)

さて、次回は家業に戻ってからのことを。

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