就職活動(1996~)

時を学生時代の就職活動に戻します。
アメリカンフットボール一色の学生生活を送っていたため、多分に漏れず就職活動もいい加減そのものだったと思います。

特に何かやりたいことがあるわけでもなく・・
名が知れている会社だったらいいかな・・。そんな程度。

正直、今の時代のようにインターンなどをして企業を研究する学生なんかを
みるとすごいなあ~って心の底から思いますね。

そんな程度の心意気で取り組んだ就職活動だったので、成果は全くでした・・・。

当時の恒例だったのかな?クラブの部室の前に大きな白紙が掲示されて
誰がどこの会社の内定をもらった!!ってのが列記されていくんですよね・

あれはプレッシャーでした・・。

幸い、某大手旅行会社に内定をいただていたので、名前は連ねていたものの、志望していた会社ではなかったので、プレッシャーは続きました。
(結局、別の旅行会社に内定をもらってお世話になることになったんですけどね・・)

昔の体育会の学生なんて、きっと
「〇〇大学でアメフトしてました!!野球してました!!サッカーしてました!!」そんなノリだったのでしょうが、今の時代はどうなんでしょうね?

体育会の評価ってどうなんでしょう?少なくても体育会に在籍してたらから
根性もあるので採用!!そんなノリは恐らくないでしょうね。

あれ?おかしい?コンテンツビジネスを作るための自分の棚卸をするはずが、ついつい思い出話に偏ってします・・大汗

まあ、それでもいいかな。何か今までの自分を振り返っていく中で、浮かんでくるアイデアだったり、これは伝えておきたい!!

そんなことも生まれてくるでしょうから。

そういえば、大学の当時は家業でもある宝石の卸屋さんを継ぐなんて
考えは一切なかったですね。

ほんとなーんとなくですが海外で働いてみたいなあ~なんて気持ちも少し。
でも、今思うとそれって何か取って付けた夢で、自分の心の底から願う夢ではなかったのかなあ~なんて思います。

とにもかくにも、内定をいただいた就職先は「阪急交通社」という旅行会社。トラピックスという商品名でも有名な会社ですね。知ってます?
関西の方には馴染みがあると思いますが、関東の方はあまりご存じでないかもしれないですね。

とりあえずは就職が決まってホッとしてました。
家族もとても喜んでくれたのを覚えています。

今日はここまで。こんな風なアウトプットでもいいかな。
続けることが大切。

そう信じたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?