同人界隈初体験記

これは、成人済み女性が生まれて初めて飛び込んだ同人界隈で起こった一連の体験記である。

初めての同人界隈

ある日、人生で初めて二次創作なるものを世に公開した。

理由としては、周りに共感してくれる人が誰もいなかったからである。
この揺さぶる感情をどうしたらいいんだろう、と悩んでいた時には既に筆を執り、気付いたら作品を世に出していた。
まさかこの歳でこんな行動力を発揮するとは思っておらず、どこからその活力が生まれたのか、随分時間が経った今でも甚だ疑問である。
それだけでも驚いていたのだが、慣れない感情の揺さぶりが更に私を突き動かした。

かくして私は、
人生で初めて趣味のアカウントなるものを作り、
人生で初めてネットという大海原を航海し、
人生で初めて二次創作作品を漁り始めただけでなく、
人生で初めてその作品を生み出している神々と交流を持つようになった。

初めての同人界隈は、自分にとってまさに青天の霹靂のようなものであった。

才能あふれる人間がこんなにもこの世にいるのかと驚き、なぜ私は今までこういった感動を知らずにのうのうと生きてきたのかと嘆く日々が始まった。

こんな未開の地がまだあったのかと、新しい刺激が私の人生に色を付け、同人界隈という魔境に深くのめり込むのに時間はかからなかった。

最初、その界隈は初心者には優しい雰囲気だった。

「みんな仲良し」

それがその界隈でみんなが口々に発していた言葉だった。
良識のある大人が集まると、こんなにも平穏で暖かい世界が生まれるのかと感動まで覚えていた。
これが初めての経験に酔った自分が盲目的になっていただけだったと気づくまでは───。

界隈初の大騒動


とある日のことである。
とある作者(以下、A)が別の作者(以下、B)にアイディアをパクられたと騒ぎ出したのだ。
このAの言葉を一定数の人間が信じ、Bに対して嫌悪を示し始めた。
今こうして振り返ってみると、そこから少しずつ歯車が狂い始めたのではと思う。

実際はAがフォロワーからもらったアイディアを元に作品を作り、それを見たBが同じ内容で自分も作品を作っていいかと公の場でAに尋ねていた。
それに対してAは承諾し、その後Bは作品を世に出した。
すると同じ内容であったのにも関わらず、Bの方がAよりも人気が出てしまった。
その結果からか、Aはパクられたと怒り始め、一定数の人間がその言葉を信じ始めた。

その場にいた多くのファンがそれを見ていたはずなのに、何故なのだろうか、その事実が彼らの記憶からぽっかりと消えてなくなっていた。
自分の覚え間違いかと思って彼らのアカウントの過去を遡っていくと、やはりそのやり取りが残っていた。

───Aは自分の発言を忘れたのだろうか?
───それとも、自分が見えないところでAとBでやり取りがあり、そこで決められた内容との違いがあったのだろうか?

そういった疑問がふと頭をよぎった。
Bは証拠を提示して対応するも、Aの怒りは収まらない。
Aの態度に違和感を覚えたが、この膨大な情報量に毎日充てられ、日々を生活していたらそういったこともあるだろうと思って、一旦様子を見ることにした。

これとほぼ同時期に、他の作者にブロックされたことに対して怒る人や、仲良くしていたと思っていた人にミュートにされたと嘆く人が出始めた。
心配になって実際に話を聞きに行くと、驚いたことに誰も相手方と話し合いの場を設けるといったことはしていなかった。
ただ、一方的な思い込みで相手の立場を悪くするような発言を平気で公の場で行っていたのだ。
更に驚いたことに周りも片方の意見だけを聞いて、起こっている揉め事を判断していた。

その人が言っていることが果たして本当にそうなのか───。

そういった疑問を抱くこともなく、誰も何の事実確認もしない。
この奇妙な文化に眉を顰めていると、それぞれの思いを綴ったお気持ち表明らがスマホの画面を埋め尽くして、この騒動をネットの渦へと流していった。

───彼らは良識ある大人ではなかったのか?

自分の人生を鮮やかに彩っていたものは、静かに滲み、淀んだ色に変わり始めていた───。

いろんな初体験


プライベートが忙しくなり、少しの間その界隈を離れていると、ある日、この界隈で仲の良かった人からメッセージが届いた。

───界隈がおかしい。

どういったことであろう?と疑問に思っていると、別の人からも似たようなメッセージが届いていた。

───みんなが怖い。

一体何があったんだ?
何も知らない私が再び界隈に戻って来るきっかけは、彼らのメッセージだけで充分だった。
彼らの状況説明を聞いたあと、素知らぬふりをして戻ってみると、鍵垢なるものが誕生していた。

───また新しい文化を知ってしまった・・・・・・。

最初はそれだけの感想であった。
そのあと、仲のいい人とだけ話す機会を設け、話した内容は翌日見えなくなるというというアプリが流行り始めた。
それと同時に、界隈の中で同人活動の長い人たちが、これが同人活動のマナーだと、鍵垢で教える機会が増え、素人には分からない暗黙の了解が増えていった。

目まぐるしい変化についていけず、黙ってそのまま成り行きを見守っていると、突然Bがアカウントを消すと宣言し、宣言通りアカウントを消した。
すると、Aを始め、多くの人が同定可能性のある発言をし始めた。
過激な発言もあったので、それに対して苦言を呈すつもりで自分の気持ちを呟くと、その発言の嵐はピタリとやんだ───ように見えた。

この後からである。
私の感想箱に何かしらの誹謗中傷のような投稿が増えたのは───。
小さな疑心が心を揺らすも、何も言わないで黙っていることにした。
なぜなら、表面上はその界隈に平和が戻ってきたように見えたからである。

───まぁ、交流が増えれば色々問題は出てくるだろう・・・・・・人間だもの。

最初はそのくらいに思っていた。
だが、DMを通して私に相談をしてくる人数は徐々に増え、気付いたときには、自分のプライベートは創作ではなく、彼らの相談に割かれていった。
毎日20人くらいとDMでやり取りをして、慰めの言葉をかけていた。

ただ時間が経つにつれ、問題行動を起こしている人に対しての鬱憤は、次第に私に充てられるようになり、自分の感想箱も作品の感想等ではなく、心無い言葉が投げられる機会が増えていった。
追い打ちをかける様に「○○さんがあなたの悪口を言っていました」と親切心なのか、嫌がらせなのか良く分からない伝書鳩が飛んできて、自分の心は疑心に駆られ、自分の目を曇らせていく。
色鮮やかに見えていた景色が、燻んで淀んだ色をまとう荒んだ景色へと徐々に変貌を遂げていった。

───私はなんでこんなところにいるんだろうか?

そう思った時には大きな虚無感が私を襲い、耐え忍んでいた自我が癇癪を起こして、押し殺していた自身の存在を主張するように喚き始めた。
慣れない自我の悲鳴から楽になりたい一心で、自分の気持ちも聞いてほしいと思った私は、鍵垢を作って今までのことを赤裸々に話すことにした。

特に問題を起こしている人に対しての鬱憤を私に向けられることがお門違いであること、自身を偽った上で心無い言葉を送り付けても、こちらは総じて誰だか分かるという旨を書き記していった。

───すると、今度は私がターゲットになっていた。

予想よりも遥かに勢力を増していた彼らは、次なる獲物を探していた。
彼らは誰かが同じ土俵に立って、慣れない相撲を取るのをずっと待っていたのだ。
それに気づかず、自我をむき出しにして、まんまと同じ穴の狢となってしまった私を、彼らが見逃すはずはなかった。
待っていましたと言わんばかりに、私の見えない所で私を叩き始め、表面上は理解ある人のふりをして更に私がボロを出さないかと目を光らせていた。

───私は、彼らの“本当の鍵垢”を知らなかった。

だからこそ、彼らは安全地帯で楽しそうに話していた。
そこに私の伝書鳩がいるとも知らずに───。

初めての同人誌即売会

まるで自分が被害妄想に駆られているだけではと思わせるような、変な居心地の悪さが続く日々を過ごしていると、一人、また一人と、色んな人が伝書鳩となって、同じ言葉、同じものを私に見せ、今の私の状況を伝えてくる。
状況証拠が手元に揃っていくものの、私を叩く彼らが表立って行動を示すことはなかった。
私が見えている景色からは、彼らの尻尾はつかめない。

───この界隈は事実確認をしない。

そのため真相は闇に葬られ、虚像が実像の振りをするのに時間はかからなかった。

───私は負けたのだ。

そう確信したときには「厚顔無恥で被害妄想に駆られている人」というレッテルを貼られ、肩身が狭くなっていた。


一方、表面上では同人誌即売会が行われることになり、界隈は盛り上がりを見せていた。
その様子を見ていて、ふと、私を叩いている人はどんな人なのかと、興味が湧いた。

───彼らの面を拝みたい。

その気持ちが主な原動力となって、私は同人誌即売会に赴いた。

まず、結論から言おう。

行って良かった───。

現実とは非情なもので、どんなにネットでうまく隠せていても、実際に会ってみると、あらゆるものがありありと見えてしまう。

───現実で人となりはなかなか隠せないものである。

自分のことを叩いていた人らを見かけ、それと同時に黙ってこの様子を見ている人たちにも出会い、妙な納得感を覚えた。
この界隈にいる人々に出会ったことで、この界隈にしがみつく必要性が無いという結論が、自分の中で出てしまった。
よって、同人誌即売会から帰った後、早々にこの界隈から去ることを決意した。

盲目の恋から覚めたような、晴れやかな気分だった。

界隈を去った後

界隈を去った後は非常に穏やかだった。
普段の自分の生活が戻ってきたのだ。
昔から慣れ親しんでいるいつもの自分の生活を謳歌していると、今まであまり連絡を取っていなかった人たちからメッセージが飛んでくるようになった。
彼らの話を聞いたところによると、私を叩いていた人達は、私が去った後も、いないはずの私の影を追い、私とBが共謀しているといった根も葉もない噂を作り、必死に我々を叩いていたようだった。
奇妙なことに、この騒動がきっかけで、疑問を持った人達から個別に連絡が来るようになり、また、この一連の騒動のおかげでBとも連絡を取るようになり、友情を築くきっかけとなった。

幸い、自分の手元にはあらゆる証拠と証言が揃っていたので、同じ轍を踏まないで欲しいという老婆心から、連絡をくれた人達には、それらを見せることにした。
自分が持っている証拠と証言を元に、事の成り行きを説明するという行為は、まるで自分が歴史を紡ぐ伝道師となって、この世界で起きていることを後世に伝えるという大業を為しえているような気分にさせた。

───これが危ないのである。

自分が持っている証拠や証言というものは、自分が正しいように見せるのに十分な代物である。
だからこそ、私に事実確認をしてきている人には必ず一言添える様にしている。

「これらはあくまで私から見えた事実であり、実際の事象とは異なるかもしれない」

某有名な名探偵のように「真実はいつも一つ!」とは言えないのが現実だ。
実際は、みんなそれぞれの偏見という色眼鏡を元に物事を見て、自分なりの“真実”を形成している。

人間の記憶というのは思いのほか頼りない。
時が経つほど朧気になり、その曖昧さを整えようと、自分の都合のいいように書き換えていく。
更に感情というものが厄介で、それが要らない色を足し、脚色していくのだ。

だからこそ、当事者である際ももちろんのこと、自分の考えを疑い、相手方の意見や第三者の意見を聞き、事実確認をしっかり行うことで、自分の中の“真実”と実際の事象を摺り合わせる作業をする必要がある。
また、第三者という立場で、そういった意見を聞いたときは、自分が無意識に都合のいいように自分の感情を付け足していないか、充分な注意が必要だ。

少なくとも、私の現実世界は今までその様に回ってきていたので、自分の中では何か事象が生じた際は、事実確認から始まる。
まず時系列と他者の証言や物的証拠が主軸となって一連の出来事を捉え、自分が見てきたものと照らし合わせていく。
そうすることで誤認している部分が浮き彫りになり、なぜその誤解が生じたのかの原因が分かるからである。

私の体験というものは、私が見える世界から生んだ寓話に過ぎず、本来の事象と異なる可能性がある。

実際、私はこのことを念頭に置いて、こうしてつらつらと今回の体験を記している。
この話は、私から見たその界隈の話であり、ただの私の同人界隈体験談で、それ以上でもそれ以下でもないというのが実情である。

だが、私の経験した同人界隈は、こういった解釈をしている人が少なかったようで、その代わりにと言ってはなんだが、自身の想像力を遺憾無く発揮して、虚構を案出し、それを妄信している人が多かったようである。

同人界隈というものがこれが初めてだったので他は分からないが、もし他の界隈もこれと同様ならば、現実世界よりも非常に厄介な世界だなと心から思う。
それと同時に、そういった場で作品を生み出し続ける神々の功労を称え、最大限の敬意をここに表したい。
あなたの作品のお陰で救われる命があります、ありがとうございます。

また、それ以外で、今の私が言える“真実”は、この体験を憶測だけで批判してくる人というのは、自分が似たようなことを他者にした経験のあるバツの悪い人ということだけだ。

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