創作者は皆すべからく浮気をすべき

最近積ん読の総額がついに10万を超えました。木染維月です。カクヨムでインターネット字書きをしています。

周りの物書きがみんなnoteを始めたので自分も軽率にnoteを始めようと思ったのですが、如何せんnote自体が目的になってるので書くことがない。たぶんカクヨムの近況ノートの代わりにしたり、昔のアメーバブログの代わりみたいな使い方をしたりするんじゃないかと思います。
昔のアメーバブログのこと知らんけどな。

さて本題。

n=1の完全なる個人体験ですが、創作者は皆すべからく浮気をすべきだと思います。
もちろん男女交際上の浮気ではありません。彼氏彼女がいるのに浮気をする奴の来世はボウフラらしいです。

何かと言いますと、創作活動の手段の浮気をすべきなのです。

【浮気のメリット】

語弊しかない章題(故意)。

まず最大のメリットとして、「今やっている創作手段をより効果的に用いる方法が見えてくる」ことが挙げられます。
要は、この媒体で表現するといいな、というのが見えると言いましょうか。

言うなれば腕が一本増えた感覚。

自分が物書きなのでここは小説で例えましょう。
普段小説を書いている、というか小説しか書いたことがない。言いたいことは全て小説で言っていたとします。
しかしここで、例えば音楽とか詩作に手を出します。すると、「これは別に小説でやらなくてもいいな……」「こういうのは音楽でやった方が効果的だな……」とか、そういうのが見えてくるわけです。

選択肢が増えることで、小説という媒体を選ぶ理由が明確になるんですね。

小説だからこそ言えること、小説という形を取ることで輝くもの。或いは、小説向きじゃないけど敢えて小説でやってみること。
使い方は様々ですが、自分の中でこういうのが分かってるに越したことはありません。

「自分には絵心とか音感とかないし……」という方、心配ありません。詩や短歌・俳句だって構わないわけです。何ならこれが一番見えやすいかもしれないくらいですね。短歌書けないから知らんけど。

副産物として「悩みが分散されて創作病みしづらくなる」とか「スキルアップが図れる」とかもありますが、この辺は賛否が分かれるかと思います。


【浮気のデメリット】

脳の切り替えが苦手、かつライフワークの如く毎日その創作をやっていたりすると、創作手段の掛け持ちは厳しいものがあるかもしれませんね。そうでなくとも色んなことに手を出すと本業が疎かになります。

まぁ、日常的に浮気をする必要はないわけです。ちょくちょく、たまに、くらいで気軽にやれると良いのでしょう。

ちなみに私は浮気先のDTMにどハマりし、初音ミクを購入することになりましたが……。


【最後に】

自分が手を出したのは作詞作曲とドット絵でしたが、
一枚絵で見るようなエモを小説でやろうとして、中身スカスカの文章を書いてませんか?
というのが主に私が得た教訓でしたね。キッツ。(※あくまで個人の教訓と感想です。)
別に一枚絵のエモを文章でやってもいいけど、相応の形式と技量、分量が必要な気がします。

まぁここまでぐだぐだ書いておいて何ですけど、他の創作に手出ししない方が向いてるって人もいると思います。皆すべからくは言い過ぎました。
何であれ皆様、楽しい創作ライフを。

それではまた。

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