子どもが生まれて価値観が変わりました
夫婦共に長崎出身のA様ですが、大学を卒業後就職の為上京し、東京で生活をしていたそうです。
独身時代、子どもを授かる前までの夫と二人だけの生活。
その当時は、東京での暮らしに満足していたと言います。
「その当時は、仕事もしていて、家には帰るだけという感じで、家の周りについてもあまり気になりませんでしたね。休みの日には、遊びに行くところがいっぱいあるし、その暮らしに満足していました。当時住んでいたアパートも新築で、いいアパートだと思っていたし。」
しかし、子どもを授かった事により、A様の考え方、感じ方は変わりました。
「子どもが生まれて、仕事も辞めて、そしたら生活範囲が一気に自分の家周辺になったんです。それまでは、家の周りなんて全く気にならなかったけど、ふと周囲を見渡した時、【コンクリート詰め】という印象を受けました。今思えば、床は冷たかったし、新築のせいかなって思っていたけど、あまり体調も良くなかった。当時はいいと思っていたけど、あのアパートもあんまりよくなかったのかなと思います。でもそんなアパートで、結局息子が1歳半くらいまでは子育てしていました。」
その後、地元長崎に帰り、ひとまずの住まいとして、ご主人のご実家での同居生活が始まりました。
しかしそこは築60年くらいで、あまり快適な住まいとは言えなかったそうです。部屋に光は差し込まず、底冷えし、カビは生える・・・。
東京の暮らしと、ご主人の実家での暮らしで、ダブルパンチをくらったA様は、次第に精神的に不安定になり、部屋にこもりがちになったり、家族の事を遠ざけるようになりました。
子どもの面倒もお母さんにまかせっきり、そんな日々が続いたそうです。
子育て環境を変えたくて、長崎に帰ってきたのに、気が付けば自分が子育てをできない状況に。
そしてどうしても、もう耐えられないと思った時、A様は勇人さんに電話したそうです。
「よく考えたら、ハウスメーカーさんに、もう耐えられません。なんて言って話をするなんて、普通あり得ないですよね。でも、なんか電話しちゃったんですよね。
そしたら、「分かりました。じゃあ進めましょう。」って言ってくれたんです。とは言っても、主人の仕事上、なかなか休みがとれず、私の中では、そんなにどんどん進めといいのかなっていう気持ちがあったんですけど、小川さんに「今、家を出たいと思ったその気持ちで進めなきや、いつまでたっても暮らしはかわりませんよ。」って背中を押されてやっと決心がついたんです。」
A様は今ではすっかり元気になったと言います。
ご主人からは「別人みたい」と言われるほど。無意識のうちに家事をしながら鼻歌を歌ったりして、それには自分でもびっくりしたとおっしゃっていました。
「なんか、これまでの家では座れる場所はソファーしかないって感じだったんですが、ここに引っ越してきてからは、タタミもあるし、床も木で気持ちよく、そのまま座れるのが感しいです。ウッドデッキも布団干したりすると影ができるんで、夏はその影の所でゴロゴロしています。布団で、周りからは見えないし、気持ちいいんですよね。
そういえば、前息子が幼稚園から帰ってきた途端、そのまま玄関で寝ちゃったことがあって。その時季節は冬だったんですけど、床暖房も付いているし、まぁいっかと思って毛布だけ掛けて、そのまま玄関で寝せといたこともありました。笑」
毎回お客様インタビューの際に、写真も一緒に撮らせてもらっているのですが、撮影場所は、お客様のお気に入りの場所にしています。そして、今回A様が選んだのがキッチンでした。
「寂しがりやで、みんなが見えてないと嫌だというとこの間取りを考えてくれました。ここなら、夫や子どもが書斎や子ども部屋に居てもみえるので、孤独を感じません。息子は、卵を割ろうとすると「自分がわる」と言っていつも寄ってくるんです。他にも、キッチン周りの棚と引き出しをお願いして、つけてもらったんですけど、やっぱり自分の習慣の動きにあっているからすごく使いやすくて。もう台所というより、部屋の一部という感じですごく気に入っています。」
また、こんなことも。
「他の子育ての家のお宅の写真を見ていると、ウチにはないものとかもあって、これいいな~って思ったりもするんですけど、やっぱり自分のウチが一番いいって思えるんですよね。設計士さんってすごいなって思います。主人も最初は乗り気ではなかったんですけど、すぐ好きになって、小川さんのFacebook とかもよくチェックしているみたいです。今では周りに色んな家が建っているけど、やっぱりここが一番いいってよく言っていますよ。」
インタビュー中A様は終始にこやかでした。
「当時は満足していたし、わりといいアパートだと思っていた」ところが、今思うと「良くなかった」と思える。
それはA様が真剣に自分と家族の生き方を考え、環境を変えたからこそ思う事だと思います。
そして、一人の人間の価値観を変えてしまう「子ども」という存在の尊さ。
今までは、気にならなかったモノが、気になるようになり、今までは考えもしなかったことを考えるようになる。
それだけ我が子というのは、かけがえのない存在で宝物なのだとA様の話を伺っていて思いました。
A様に「家づくりで大変だった事はありますか」と尋ねると、「決断すること」だったとおっしゃっていました。
会社に戻り、勇人さんから、A様が初めて子育ての家に相談に来たのは、勇人さんに話をする、半年以上前の事だったと聞きました。
「それだけの間、決断することができなかったことを、なぜ決断することができたのか?」
それは、相談に来てからの半年の月日が流れる中で、A様に限界が来たからなのではないかと私は思います。限界が来て初めて、本当の意味で未来について想像したのではないかと。そして、その未来に不安を感じたから、決断することができたのではないかと思いました。
人は、自分の中で限界が来て初めて、自分の置かれている状況に目を向け、未来について真剣に考えるのかも知ません。そして、これまでの延長線上にある未来を想像し、その未来に失望した時、初めて「変える」という決断ができるのかも知れません。大切なものを失わないために、光の差す未来を失わないために、人は決断するのだと私は思います。