子供の「障害」の受け入れること
オッス、オラ発達障害男児のかあさん!よろしくな!(最近、ドラゴンボール風挨拶がお気に入り)
やってまいりましたよ。師走ですな。忙しいとかいいますが、祝日もあるし営業日少ないクセに仕事の量は変わりませんから(営業目標もかわりませんから)しんどいっつーかしわ寄せ来てるっていう月ですよね。ちがいましたっけ?
さて、タイトルの話。
自分の子供の「障害がある状態」ということを「受け入れる」こと。
「ASD/注意欠陥ADHD」って診断受けてる我が子。3歳半に園から療育連携を言われて、発達検査受けて、半年まってようやく21年4月から、教育センターで療育をうけたり、運動療育を児童発達支援所でうけたり、やれることはてんてこ舞い・テンパリながらやってます。
でもね、そうやって、「療育」「発達障害」という言葉を、保育のプロ(園の先生)から突きつけられて、1年半経つわけですが、いまだ次にような気持ちなわけです。
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・いまうちの子のなにがどう”障害”なのかわからない
・医者や療育や保育関係者によって言うことが違う
・「へぇ?そうはみえないですけどね?」とか周りの大人から言われる(よっぽど飛び跳ねてたり、自傷してたり、ニュースでみるようにな発達障害児(知的遅れ等含む)のイメージしかないから、そう見えないので「そうなんですか?」と言われる)
・親自身は子供との生活でこまってないから、よくわからない。”自分の子供のどこに”障害”があるのかわからない”。なので「障害」と言われてもなにがなんだかわからない
・いま小さいから成長段階なだけなんじゃないの?と疑問。障害ゆえに困難が発生してるのか、がわからない(現在5歳になったばかりの子供です)
・「●●くん(息子)は、天才型!大丈夫!」とか言われるが、「天才型?」「発達”障害”」って言われてるのに、なにが大丈夫なのか意味がよくわからない
・発達障害=ギフテッド、みたいな報道に「??そうなの??」と混乱。発達障害という分類=IQ180みたいな扱いなわけないだろ?雑すぎねぇか?とか感じる
・ねぇ、そもそも「発達障害」ってなに?「療育」って何?”「子育(て)」”と”「療」育”の育成における「療」がつくのって何がなんなの?
・うちの子はどうなるの????
・何をいましたらいいの????
・私が想像していた明るい未来「子供は大変に賢く、中学受験をトライして、たくさんのスポーツをお友達と楽しく学び、自分なりに高校や大学を経て、自分が楽しいと思える仕事について、、なんなら家庭を育んで、、とか、多くの人がたどるであろう人生」は、もう皆無なの?絶望なの?
とか、もう大混乱と不安に満ち溢れるわけです。
不安に煽られて、ネットをあさると、断片的な情報ばかりでよくわからないし。
「癇癪の対応方法」とかたくさん溢れてるけど、かんしゃく?なにが癇癪なの?認知症のおじいさんが激昂してるやつ?え?こどものかんしゃくってなに?我が子に、YOUTUBE見せろと毎日ゴネてるこけど、これも「かんしゃく」っていうやつなの?それって子供ならみんなあるんじゃないの?とか。
おそるおそるTwitterをみると、発達障害児のお母さんたちの悲喜こもごもを拝見して、また狐に包まれたような気持ちになり。
え、うちの子知的障害なの?自傷するの?大きくなったら暴力ふるわれるの?グループホームに入るの?就労bとかなにそれ?月給8000円とかなに?親なきあとの財産管理の委託ってどういうこと?二次障害でうつと自殺と精神科の入退院の繰り返しってなに?レスパイト?子供はみんな宝?かわいい?ASDってなに?自閉症スペクトラム?ADHD?知的??ダウン症と知的障害と身体障害と、、、え?え?なにこれ?
「障害」というものの、重度・頻度・表出の仕方がバラエティありすぎて、全部をひとくくりに「発達障害」と言われて、「なにこれ????」と、すごい置いてけぼり。
置いてけぼりで、情報に適した情報を収集するすべがわからなくて(自分が整理できる情報)。
ディレクションしてくれるケアマネのような公的にサポートしてくれる人がいなくて、もう、なんか一人孤独で大混乱してるわけです。
しまいには「発達障害は治る!」というのをみて、すがりたくなったり。
でも、冷静に考えて「・・・治る??障害っていわれてるものって、治る類なの・・?足がない人に人口足をつけるような感じなの・・?それ治るっていうの?」胡散臭さを感じつつも、覗いてみたくなって。
サービス内容みてみると、10万円もする「視覚優位のお子さん向けDVD」とかいうネット広告をクリックして、ずっとその広告に追われて、SNSみるたその広告がでてきて、うんざり・ストレスフルになってみたり。
わたしだけですか?
こうやって混乱して、孤独に感じて、不安が常につきまとって。
「うちの子は本当に”障害者”なんですか?うそですよね?」
「最近、クレーム対応にならないために、早々に”やんちゃ系・不器用系の子供”を”(園だと対応しきれんから)療育しろ”って、教育センターにおくりこんでるだけですよね?」(そういうことを非療育関係者とかがしれっと言ってくる)
と「否定したい」気持ちと、
「いや、なんらか困りごとがあるらしいので、受け入れて何をどうしたらいいのかやりますから!」
「子供のために、やりますから!(何を?)」
みたいな、「受け入れてなんかしよう」と思う気持ちと。
もうよくわからない気持ちで揺れ動くわけです。
・・・・・・・・・・・・・
でね、この「揺れ」。気持ちの揺れ、情報からの影響、いろんな人がいろんなこと言ってくることへの、一喜一憂する気持ちの発生。
疲れました。一言でいうと「もう疲れました」。です。
だから、このNOTEをはじめました。
自分しかいない。
自分が整理して、自分で情報収集して、自分で考え抜いて、多くの方のアドバイスを適切に「自分の家族にあった」ものを取捨選択できるようになるために。
・発達障害はなんなのか
・自分の子供はいまどんな立ち位置なのか
・自分は子供になにができるのか
・私達(夫と私)は子供の育成にどんな考えをもって生きていきたいのか
それを考える術とプロセスを明かすために(自分のために)、このNOTEで強制的にアウトプットしてるですね。
そして、これを行ってるプロセスの中で、少しずつ見えてきたことがあります。
「自分の子供を受け入れること」
「自分の子供がなんから障害があるということ」
「その障害の名称は「発達障害」というもの」
です。
みずから「発達障害男児のかあさん」と名乗っていたって、自分の子供が”障害児”というふうに100%受け入れてるわけじゃない。そして過剰に思い込ませたいわけじゃない。
でも、「日本の生活の中では、なんらか困りごとをうみやすい特性がある子供らしい」ということは、徐々に受け入れてきた。
だから、引き続き
「自分の子供が障害児であること、という事実」を受け入れること、
と
「それに対して何ができるのか・適切なアプローチはなにか」を模索するために、
NOTEを書いています。
きょうは、そんな話を書いてみました。では、また!
▼おまけ:
自分の自己紹介(下記)で書いたころの想いより、今日はより深く一歩すすんで自分の気持ちを言語化して、「なぜこのNOTEを書いてるのか」の自分の意味・意義・意図を整理することが、今日のNOTEでは自分で発見できたと思います。
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