M29と呼ばれた男 15話

目を覚ますと、隣にM923はいなかった。
寝袋から這い出ると、冷え切った荷台の冷気が裸の上半身に染みてくる。
どうやら昨晩の熱気は、夜明けと共に消え去ってしまったみたいだ。
ぼやけた頭でジャケットを羽織ると、外からいい匂いが漂ってきた。
シートをまくると、携帯用のガスコンロで朝食を作っているM923が居た。
椅子代わりの弾薬箱に腰かけて、小さなフライパンを操ってベーコンを焼いている。傍らにはビスケットの箱。
「ほんとは卵もあればいいんだけど、こんなのしか無くてさ」
M923はそう言って、コーヒーが入ったコップを差し出してきた。驚いた事に、まだ温かい。
「すまんな、ここまでさせてしまって」
「いいって。慣れたもんだからさ。これ食べたら出よう」
「今、何時だ?」
空はほのかに青く染まっていたが、日はまだ上っていないようだ。辺りは薄暗く、しんと静まり返っている。
M923は腕時計を見て、
「4時。あれだけ疲れても、意外に起きられるもんだね」
と笑ってみせた。
起床確認は朝6時。十分に間に合いそうだ。
コップを傾けると、熱いコーヒーが冷えきった身体に染み渡った。

灰色の寮舎は死んだように横たわっている。
駐車場にはキャデラックが停まっていて、あいつらが無事に帰ってきていることを示していた。
M923は俺を寮舎の前で降ろすと、「またしようね」と囁き、頬にキスをして走り去ってしまった。
頬を手のひらでこすりながら自室に向かう。なぜだか、M923のぬくもりが名残惜しくなる。
次はいつ会おうかと考えながら、部屋が並んでいる廊下に差し掛かった時、銃声が響いた。
反射的に壁に隠れ、M29マグナムを抜いて廊下をうかがう。
アサルトライフルを構えたG11がこちらを狙っていた。その後ろには、3体の自律人形が床に転がっている。
UMP45、UMP9、HK416。
「おい、俺だ!」
マグナムを収めて、手を上げて壁から姿を現す。
「M29……?」
G11が銃を下したのを確認して、彼女に走り寄る。
G11は見るからに疲れた顔をしていた。
「どうした?何があった?」
「昨日、M29が行った後……」
G11が話し始める。
「みんなM29の悪口をいいながらビールを飲み始めて」
「それで?」
「そのうち、416とUMP9が大声で歌い始めて、カフェから追い出された」
「ああ」
想像するだに恐ろしい。
「暴れる416をみんなで押さえつけて、キャデラックに押し込んだ。飲んでいないのは私だけだったから、私が運転して帰ってきた」
「てことは、こいつらは酔いつぶれて寝てるってことか?」
G11はこくりと頷いた。それと同時にぐごーっ、とでかいいびき声が3人の誰かから聞こえてきた。
つまり、G11は羊の群れを守る牧羊犬よろしく、酔いつぶれた仲間の警護を一晩中していたということになる。
俺はG11の肩に、ねぎらうように肩をおいた。
「お疲れさん。あとは俺がやっとくから寝ていいぞ」
酔っぱらい共は、適当に部屋の中に投げ入れればいいだろう。
「ありがと……もう寝る……」
G11はふらふらと自分の部屋に歩き出す。
「あ、そうだ」
G11はなにかを思い出したように、こちらに振り向いた。
「M29は何してたの?」
「ああ……射撃訓練だ」
古巣の傭兵仲間の間では、人形とそういう行為をすることを射撃訓練と呼んでいた。だから嘘じゃない。
「もしかして、これ?」
そう言って、G11は左手で作った拳に、右手の人差し指を突っ込むジェスチャーをした。
気恥ずかしさが声に出てしまったのかもしれない。
なかなか鋭い奴だ、と思いながら俺は曖昧に頷いた。

10件の要人警護任務、7件の用途不明施設調査任務、3件の暗殺任務。
その後、半年間で404部隊が行った任務だ。
俺はその全てに参加し、ほぼ完璧にこなしてきた。
UMP45たちにも、404部隊の新入隊員ではなく、戦友として見られるようになった気がする。
M923とは、たびたび会うようになった。
寮舎まで押しかけられて、色んな場所に連れ出された。
それは、行きつけのカフェだったり、ハイウェイのはるか向こうの町だったり、ひっそりとした山奥だったりした。
たわいのない世間話をしたり、見知らぬ場所を探索したり、ぬくもりを分け合ったりした。
海沿いの道で、乗用車で200㎞近いスピードを出して死にそうな目にあったこともある。M923は大笑いしていたが。
俺はそんな彼女に振り回されることにうんざりしつつも、この日常を愛し始めている事にも気づき始めていた。
戦場を渡り歩くことですり減っていった何かを、取り戻せるような気がしていた。
思えば、この時が俺の幸せの絶頂期というやつだったかもしれない。
ある日、404部隊に下された一つの任務。それが、俺の日常をバラバラに引き裂いてしまった。
押し寄せる濁流が、すべてを飲み込み、形あるものすべてを破壊していくように。
トランスポーターと名乗るテロリスト。それが濁流の正体だ。
そして、俺はM29の名を捨てることになった。


【続く】


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