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【映画感想】グリーンナイトで心の中に謎を持て【鑑賞後推奨】

俺だ、コセン・ニンジャだ。
子供のころは、あらゆるものに神秘と疑問があった。
夜、風に揺れる草むらの中に踊る幽霊を見い出し、路地に響く鳥の鳴き声の中に子供の笑い声を聞いた。
大人になってからは、あらゆる疑問はなくなり、ただソリッドで冷たい現実が残るばかり。
日々をただ過ごすために、過ごす。それが日常になった。
だが、新たな神秘と疑問を、心の中に植え付けるような作品が公開された。
それが、今上映中の映画、『グリーンナイト』だ。
今日はグリーンナイトの話をしよう。
なお、ネタバレの要素も含まれているから、それが嫌なら劇場に走れ。
上映館が少ないから苦労するだろうが、その価値はあるはずだ。

あらすじ

アーサー王の甥であるサー・ガウェインは、まだ正式な騎士ではなかった。彼には人々に語られる英雄譚もなく、ただ空虚で怠惰な日々を送っていた。クリスマスの日。アーサー王の宮殿では、円卓の騎士たちが集う宴が開かれていた。その最中、まるで全身が草木に包まれたような異様な風貌の緑の騎士が現れ、“クリスマスの遊び事”と称した、恐ろしい首切りゲームを提案する。その挑発に乗ったガウェインは、彼の首を一振りで斬り落とす。しかし、緑の騎士は転がる首を堂々と自身で拾い上げると、「1年後のクリスマスに私を捜し出し、ひざまずいて、私からの一撃を受けるのだ」と言い残し、馬で走り去るのだった。それは、ガウェインにとって、呪いと厳しい試練の始まりだった。1年後、ガウェインは約束を果たすべく、未知なる世界へと旅立ってゆく。気が触れた盗賊、彷徨う巨人、言葉を話すキツネ・・・生きている者、死んでいる者、そして人間ですらない者たちが次々に現れ、彼を緑の騎士のもとへと導いてゆく。

公式サイトより)

正直、かなり寓話要素が強い。
アーサー王がエクスカリバーで大軍にビームしたり、蛮族をバッサバッサ切り伏せたりとかそういうのは一切ない。
ただ一つ一つの場面に思いを巡らせ、映像美やBGMを楽しむ。
そういう映画だ。

予習したほうが楽しめそうなもの

この映画は、作者不明の詩である、『ガウェイン卿と緑の騎士(Wikipedia)』を再解釈したような映画だ。
だから、そのあらすじはだいたいストーリーの流れのネタバレだ。
しかし、事前にあらすじを読んでおけば、色々納得できることも多いし、この映画を比較的把握しやすいと思うから、読むことをオススメする。
後は、アーサー王伝説について一通り知っているといいかもしれないが、知らなくても特に問題はない。
この話に出て来る主要な円卓の人物は、アーサー王とガウェインだけだし、他の騎士は酒飲んでワハハしてるだけだ。
あとは、映画鑑賞後に公式サイトに行くと、鑑賞後に残った疑問を少しは失くせるかもしれない。

登場人物

紹介する前に言っておく。
俺はまだこの映画を整理できてないから、登場人物にそれぞれ俺なりの解釈として、『役割』を与えつつ俺なりに感じたことを書こうと思う。
もちろんネタバレだ。だから、まだ見てないしネタバレも嫌なら、ページを閉じた方がいいだろう。
ただ、この映画の本質はネタバレ云々ではなく、映像美と演出にあるから、これを読んでも鑑賞に影響はないと思う。

ガウェイン 
『若い未熟者』。本名は長ったらしいので省略。まだ騎士になっていないからサーもつかないし、毎日飲んだくれて修行すらしない、騎士の風上におけないやつ。映画の中ではほとんどいい所もないし、自分で考えて決断しないし、見るたびに情けないし、流れに流されてばかりの男。
だが、そんな彼の事を懐かしい目で見る人もいるかもしれない。
未熟であるということは、未熟でいられる環境であるということだし、怠惰でいられるのも、怠惰でいられる時間があるということだからだ。
しかし、彼はいずれ成長し、世に知られる騎士ガウェインにならねばならない。
騎士になるための資質の探求。それがこの旅の真の目的なのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

緑の騎士(グリーンナイト
『試練』。呪術によって呼び出された超自然的な存在。
首を切られてもピンピンしてるし、なんなら首を切られたまま笑い声をあげるくらい不死身。
この物語の最終到達点であり、目的であり、克服すべき相手でもある。

ガウェインの恋人エセル
『恋人』。まだ結婚はしていない。
まだ結婚していないから、夫婦ではないし、その関係は深いようでいて脆い。
だから、ガウェインが旅立つことにやんわりと反対し、自分と結婚してほしいと願うが、ガウェインは騎士にならねばなので、止めることはできない。
一般的な家庭を持ち、一般的な父として生きる道は、ガウェインにはない。
彼に流れる血と身分は、それを許さないからだ。
原典にいないオリジナルの人物その1。

奥方
『不貞者』。ガウェインが訪れた城の主の奥方で、夫が狩りに行ってる間にこっちはガウェインを狩ろうとする、古代ブリテンジョークの体現者。
その癖に、「ガウェインは騎士らしくない」とか、「てめえ童貞か?」とか好き放題言うし、緑の帯(マジックアイテム)を握らせて、「これが欲しいんか欲しいんやろ?」ムーブをしたり、割とやりたい放題なお人。
この人が緑の帯にカルピスをしみ込ませたシーンで、劇場は気まずい雰囲気になる。

アーサー王

『老王』。老いてるし病気っぽいのでもうすぐ死にそう。
なので、後継者が必要だ。
劇中、ガウェインに同じ高さの席に座るように勧めるのも、まあそういうことなのだろう。
活躍としては、ガウェインに剣を渡したり、歯が痛むのを訴えたり。
王冠の形が独特。

モーガン・ル・フェイ
『母』。ガウェインの母ちゃんで魔女で黒幕。
あの有名なモルガン。
全てを仕組んだのもこの人。この人の手のひらの上で、話は進む。
目隠ししてる奴は、大体この人の気がする。
古代ブリテン魔術を使って、ガウェインのためのマジックアイテムを作ったりする。

キツネ
『友人』。動物のキツネ。
旅の途中にガウェインと出会い、旅を共にする。
友人と言っても、いい友人と悪い友人がいる。
このキツネはちょうど中間あたりにいて、「よく飲みにいって馬鹿話してゲラゲラ笑う」くらいの友人。
助けてはくれないが、足手まといにもならない。
けど情はあるので、自ら死にに行くようなことをするガウェインを止めたりする。

巨人
『放浪者』。一番解釈に困る存在。
ガウェインを助けたり害を与えたりした感じが全くないので、とりあえず出した感が強いが、俺が知ってるブリテンの巨人は、初代コーンウォール公のコリネウスに投げ飛ばされて死んだことしか知らないので、その生き残りが定住できる土地がない存在として、永遠に放浪しているのかもしれない。
劇中では、ガウェインに手を伸ばすが、ガウェインが怖気づいたために手を引っ込めたり、キツネに吠えられたり。
あるいは、ガウェインが使命を捨てて異郷に逃げるための手段の一つだったのかもしれない。

盗賊
『困難』。その名の通りだ。
なんかブレイブハートに出てきてもおかしくないくらい、イメージ通りな中世アイルランド人っぽい顔をして、ガウェインに恩を押し売りしたり、なんかホモっぽい仕草でガウェインの持ち物を全部奪ったりする。
原典にいないオリジナルの人物その2

まとめ

ネタバレだらけで、まとめようと思う。
この映画を見終わった後、俺はこの映画に神秘と疑問を見い出していた。
腹の底が見えない登場人物たち。展開の意図ははっきりと示されず、ここで書いてきたことの全てが間違いだったのではないか、と思えるような巧みなストーリー。
ひたっすら何もない平原、人の気配のない林、風景画じみた景色が退屈なくらい延々と続き、復讐のないレヴェナントを観ている気分になった。
しかし、ストーリーの筋がしっかり通っているおかげで、上映後も消化不良を起こさずに済んだ。
むしろ、ストーリーを考えれば考えるほどに、実はこうではないか、ああではないか、ガウェインの逸話を調べればなにか分からないか、と生き生きした気分で考察することができた。
特に、劇中で出てきた『緑の帯』について。
ガウェインの母さんであるモーガンが作った、「これを身に着けている限り、誰にも傷つけられない」というマジックアイテム。途中、盗賊に奪われるが、奥方の手によって、またガウェインの手に戻る。
その正体は、おそらく『安心』だったのかもしれない。
これさえあれば大丈夫。努力せずとも何とかなる。
そういう、世の中を舐め腐った感情そのものなのかもしれない。
そして、難解なストーリーライン。
未だに俺は、謎を解けていないし、答えのない謎なのかもしれない。
ただ、このストーリーの最後にあるのは、「覚悟」だと思う。
覚悟を決めなかったガウェインは、緑の騎士の一撃から逃げだし、故郷に帰って王になり、恋人を捨てて政略結婚をして、戦場で一人息子を失い、城を攻められて死ぬ。
そういう、これからの人生の流れを予知夢のように垣間見た。いわゆる、「路地裏で酒を飲んで残りの人生を過ごすことになる」的な未来だ。
そして、ガウェインは与えられたマジックアイテムである緑の帯を捨て、緑の騎士の一撃を覚悟する。
「飲んだくれの坊ちゃん」から、「真の男」になる覚悟を決めたのだ。
そして、物語は終わる。
真の男となったガウェインがこれからどうなるのか、それを描かないのが、この作品の救いだと思う。
もしかしたら、垣間見た未来通りになるかもしれない。
あるいは、彼は自らの恋人と夫婦になり、同時に真の騎士として王亡き国を救うかもしれない。
それとも、世界の仕組みをぶち壊すような何かをしでかすのかもしれない。
エンドロール後、子供の遊び道具になった王冠には、なにか深い意味が隠れているような気がしてならない。
グリーンナイト。太い筋の通った物語を、神秘性と映像美で彩り隠した、まさに現代の寓話にふさわしい映画だった。




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