俺はVtuberが分からない

※あらかじめ言っておくが、この記事はVtuberを非難する目的で書いたものではなく、2020年現在におけるVtuberに対する所感と疑問をまとめたものだ。

2016年12月。キズナアイがVtuberの発端となったことから、すべては始まった。
記憶している限りでは、当初はそこまで話題にならず、2017年にいわゆるVtuber四天王が台頭し始めてから、徐々にVtuberという概念が広まっていき、2017年末にはネットに通じている者全てにVtuberという存在が認知されたはずだ。
それから3年と10ヶ月少々。
俺は感銘を受けた。
きっかけは、10月18日の『カレーメシスパイスライブ』だった。
ただ単にゲームの配信をしたりとか、Vtuberが炎上するニュースがツイッターのタイムラインに流れてきたりとか、たまに奇声を発してるだけの動画がニコ動のランキングに上がってくるくらいの印象しかなかった俺にとって、かなり衝撃的な内容だった。
3Dのキャラが、本格的なダンスのモーションで、最高のライブをしている。
これが、Vtuberに対してネガティブなイメージしか持っていなかった俺に、どれほどの衝撃を与えたか。
もちろん、他にもVtuberがいいライブをしている動画はあるだろうが、少なくとも俺はこのライブに未来を見た。
それで、ディスコードでこの動画をべた褒めしたところ、色々あって、Vtuberのファンと揉めてしまった。
原因は、俺と彼の認識の違いだった。単に俺が無知すぎたというのもある。そもそも最初に彼の楽園に踏み込んだのは俺だ。非は俺にある。
もう終わった喧嘩にぐちぐち言うつもりはないが、この記事を以って、俺が言いたかった事を理解してもらえればいいと思う。
そのために、この記事を書くことにした。
なお、俺はVtuberの知識がほとんど0の状態でこれを書いている。
間違った部分があれば、コメントに書いてくれると俺は俺しい。

Vtuber、もしくはバーチャルユーチューバー。
日本発祥の、コンピューターグラフィックのキャラクターをアバターとして用いて、動画投稿や配信を行う人。また、その文化。
現在では1万人以上のVtuberが確認されている。
(wikipediaより)

今となっては、常識と言ってもよい情報かもしれない。
だが、現在のVtuberを知るうえで、重要な情報だ。
1万人以上のVtuberがひしめき合う業界がどれほど大きいのか。
お笑い芸人といえば、吉本興業。その吉本興業所属の芸人が約6000人と言えば、その巨大さが伝わるだろうか。
Vtuberだけで町が作れるくらいの規模だ。実際にセカンドライフ的な感じで作って欲しい気もする。
軍隊にして、一個師団。国家転覆すら余裕で射程圏内だ。
問題は、その膨大な人数のVtuberが一体なにをしているか。ということだ。
Googleの検索欄に、『Vtuber』と入れてみる。
一番上にWikipediaが出てくる。その下には、youtubeの動画の数々。
ゲーム実況、Vtuberの自己紹介、3Dモデル作成指南、Vtuberのなり方……
次に、youtubeで『Vtuber』と動画検索してみる。
正直、こちらも似たり寄ったりだ。
炎上関連、Vtuberを卒業(あるいは中退)した後のこと、マインクラフト実況。
あと、自作の音楽のMVを投稿しているのが多く見受けられた。かなりクオリティが高くて面白い。
総合して言うなら、ゲーム実況と、音楽製作をしている印象だ。
まさに、Wikipediaの言う通りといった結果だ。
だが、あえてもう少し深く潜ってみることにする。いわゆる、『配信』についての話だ。
そもそもVtuberの本懐は配信にある気がしてならない。
配信のライブ感と観客のノリが一致することで生み出される一体感がVtuberの本質なら、動画という形で残された『抜け殻』に何の価値があるのだろうか。
とはいえ、白亜の時代に生きた恐竜の生態を、化石から研究する恐竜研究家がいるように、俺もその『抜け殻』からVtuberの生態を探ってみようと思う。
youtubeの検索欄に、『Vtuber 配信』と入力する。
出てくるわ、出てくるわ、いくらでも出てくる。これが恐竜の化石なら、学会が大騒ぎするだろう。
再生数や人気度に関係なく、片端から再生してみる。
……正直、どの配信もあまり変わりがない。トークも似たり寄ったりだ。
自己紹介動画、ゲーム実況、雑談、などなど……
再生数はまちまちだ。100いかないものもあれば、初配信で1万越えもある。
この辺りはツイッターでの宣伝などが響いてくるのだろうか。
声の大きさが、関心度に繋がる。ネットとはそういうものだ。
仮に、「『Vtuber』と検索したら、どのデバイスでもグーグルの一番上の欄に出てくる権利」をオークションしたら、一体どれほどの値が付くのだろうか。
Vtuberを抱える事務所がこぞって飛びつくに違いない。
そして、俺はここで行き詰まる。
グーグルを巡り、youtubeの動画の海に潜り、配信のデータの森を散策した。それでも、実態と呼べるほどのものにたどり着けない。
やはり、Wikipediaが言う以上の真実はないのか。
しばらく悩んだ末、俺はある言葉を思い出す。そして、その言葉が俺を答えに導いてくれた。

クラスタという言葉がある。
英語で「cluster」。群れ、集合体という意味がある。
コロナが流行したころは、やたらニュースなどで、クラスタクラスタ言われまくっていたのは記憶に新しい。
スラングなどでは、同じ思想を持った者が作り出す集合体という意味もある。
メタルギアのファンが集まればメタルギアクラスタ。DOOMのファンが集まれば、DOOMクラスタだ。かっこいいぜ。
そして、Vtuberにもクラスタが存在する。
単純計算なら、その数1万以上。
そう、俺の予想が正しければ、Vtuberの数だけクラスタが存在するのだ。
この仮説こそが、Vtuberの本質に限りなく近いものを表していると思う。

一人一人のVtuberにファンのクラスタがあり、その中で盛り上がる。
その盛り上がりはポジティブな反応として、ツイッターなどのSNSに広まり、新たなファンが配信にくる。その繰り返しでクラスタは大きくなっていく。
それが基本的なVtuber、いや全てのyoutuberの仕組みだろう。
Vtuberは、10人単位などの小さなクラスタから、推定数千人の大きなクラスタとして存在し、それぞれに散らばっている。
そして、そのクラスタはおそらく閉鎖的だ。
そのクラスタの中で他の配信者の名前が出ることは無く(失礼にあたるため、にじさんじなどの団体でくくられていれば別だが)、配信中に起こった出来事での内輪ネタであふれ、配信者のアクションに対してポジティブな反応をひたすら返していく。
楽しいのか?楽しい。実に楽しい。俺には経験がある。
身内だけに通じる内輪ネタを使った会話は、共通概念で繋がれた親近感を感じるし、それでつながった快感は独特の中毒性がある。グーパンチで挨拶するようなものだ。
Vtuberという共通の対象のファンだから、会話は盛り下がることは無いし、「この間の配信見ました?」から自然に話が始まっていく。
Twitterの暗いニュースや政治的な思想、そういったものは、このコミュニティには存在しない。
まさに楽園だ。現実とSNSから離れた場所にある約束の地だ。
俺は、『スパイスライブはVtuberのあるべき姿』だと言ってしまった。
怒るのも当然だ。俺は彼らの1万以上の楽園を全否定したのだから。

ここで、一つ問題が出てくる。
めでたくVtuberが普及し、お金が回る市場(youtube広告、配信の投げ銭、グッズ販売などなど)が出来上がり、次に目指した先はなんだったか。
お茶の間への進出である。
想像してみて欲しい。それまで、youtube配信でしか活動せず、内輪ネタで塗り固まった個性的すぎるキャラクターが、テレビに出てそれらを披露する様を。
NHKの『チコちゃんに叱られる』も一種のVRキャラクターではあるが、あれば番組のために調整されたキャラクターだ。
調整を受けず、コンテンツの枠を超えたVtuberが直面したのは、あまりに辛いできごとだった。
2018年のVRブームの中、放送された『バーチャルさんは見ている』。
総勢30名のVtuberが出演する超豪華なミニコントアニメだ。
その実態については……何も語るまい。
既に語りつくされた話だし、まだ知らない人で気になるなら調べてみて欲しい。
ただ一つ。強すぎる色をたくさん混ぜても、虹色ではなく黒色しか生まれない。とだけ言っておこう。
このアニメの功績は、Vtuberになじみがない人々にとって、彼らがどのくらい『劇薬』だったかを証明したことだろう。
内輪にしか通じないノリは、コミュニティに強いつながりをもたらす一方で、他者からは異文化的で奇妙な習慣にしか見えないのだ。

そもそも、Vtuberが爆発的に流行り出したのは、
・顔を出さずに配信できる
・モーションなどを考慮しなければ、3Dモデルか2DLIVEの画像さえあればVtuberを名乗れる。
というメリットが、日本のオタク文化と相性が良かったからだと推測される。
顔は出したくない、しかしyoutubeで配信をやってみたい。という人が1万人以上居たわけだ。
そして、ファンの方も、実写のyoutuberよりもアニメ絵のyoutuberを欲していた人々が居たのだ。
この需要と供給が噛み合わさり、現在のVtuber業界が作り出されたと俺は推測する。
それから3年間。一般的な目線から見て、Vtuber業界に変化はないように思われる。
俺は経済学に明るくないし、別にその事に不満があるわけではない。
大事なことはもっと他にあるからだ。

そもそも、Vtuber全体の事を語ることがなぜ難しいのかと言えば、そのコンテンツの中身が、『動画』、『ライブ配信』。この二つしかないからだ。
動画について語れば、ただのゲーム実況や雑談としか言えないし、配信について語るなら、語る対象を実際に配信に連れてこなきゃならない。
『Vtuberのファンとなって、そのコミュニティの一体感を楽しむ』ことがメインなのだから、語ることが難しいのは当然だ。
では、どうすれば語りやすくなるのか。
俺は、スタンスを明確にすることだと思う。
例えば、『九尾なぐ』というVtuber(厳密には違う気もするが割愛)は、今度のM3というイベントでイメージソングアルバムを出して楽曲関連に力を入れてくれると全世界に約束した。
『もみじば ふぅ』というVtuberは、あくまでファンを楽しませることを第一優先とした姿勢で、実況動画や歌唱配信でVtuberをエンジョイする姿勢を見せた。
「Vtuberになって何をやる」という事が明確になれば、そこを取っ掛かりにどんな存在なのかを語ることができるのだ。
存在を明確にするということは、個人の確立につながり、『Vtuber』とひとくくりに語られる事を防ぐことができるはずだ。
知名度はある。1万人以上もいる。だが、その実態が知られることが少ない。それがVtuberだ。
だからこそ、個々それぞれが目的をはっきりさせることが重要だと俺は思う。
そして、Vtuberの個々化が導く未来について。俺はわからない。
マクロスのシャロン・アップルみたいに、VRになじみの無い人々に浸透するバーチャルアイドルが出てくるかもしれない(キズナアイは個人的にまだ浸透しきれてない気がする)し、とんでもない逸材が現れて業界をひっくり返してしまうかもしれない。
あるいは、衰退の一途をたどり続けて滅びるのか、それともこのまま何も変わらないのか。
だからこそ、俺はこう言うしかない。
俺はVtuberが分からない。と。


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