特集・東京五輪 ~オリンピックの政治利用とIOCのメリット~

 間が空いたが、前回東京五輪が、東京の経済や政治的な再集権化のために必要だと軽く触れた。

 今回に限ったことではないが、五輪はほとんどにおいて、政治的なアピールの場として使われてきた。

 また、五輪が形だけの平和の祭典で、IOCそのものに倫理的な問題があることが垣間見える。

 その問題について話したい。

※一橋大学名誉教授鵜飼哲先生の広島大学における特別講義の内容を一部取り扱っております。掲載に辺り本人の許可をいただきました。

目次

五輪と政治利用

〇何故開催国の市民の負担が多い?

IOCの思惑

◯五輪と政治利用

 知っておくべきことは、オリンピックがしょっちゅう政治の利用の場として使われる、ということだ。鵜飼先生によれば、1936年のベルリン五輪は、ナチスの国民支持のための国家の高揚の場として使われ、1964年の東京大会も、戦争からの復興を世界のアピールの場としての、ある意味での"政治利用"だ。スポーツの政治利用は、近代オリンピックでは日常茶飯事である。  

 スポーツの政治利用と聞いて、私達の世代で思い浮かべるのは、「イナズマイレブン」である。作中では、サッカー世界大会を利用して、軍事利用を考えた「強化人間」が描写された。勿論先述のゲームはフィクションもあるが、スポーツの闇と競技への純粋さを求める選手、というある意味での現実とのリンクを、一貫して描いている。

 つまり、政治とは離れた平和のためのスポーツどころか、政治的な取引と癒着し、時として平和に逆行する。

 実際、ナチスは国民の支持を得ることに成功して、五輪の後に戦争に突き進んだ。

また、平和の祭典である五輪だが、平和どころか対立の象徴となった大会もある。1980年のモスクワ五輪と、1984年のロサンゼルス五輪だ。この時は、大会主催国の陣営のが参加する五輪であり、平和の祭典として緊張を緩ませる役割を果たさなかった(1)。戦争利用の反省という、後付けの形で理念になった「平和の祭典」。こうした理念が虚構の物になっているのは今に始まったことではない。

 一応五輪開催期間に停戦をしようと取り組みもあり、その期間だけ戦争が押さえられたが(2)、停戦が破られたり五輪後に内線状態になるなど効果は限定的だ。また、五輪中継では、自国の代表を応援する報道や広告が多く、ある種のナショナリズムが生じ、国際的平和に必要ともいえる他国の選手を認め合うような動きはどちらかと言えば少ない。

 昨今よく言われる商業五輪としての側面は、鵜飼先生によれば、企業の為の五輪となったのはこのロサンゼルス大会からであり、この時ソビエト陣営のボイコットで、資金上の問題が生じ、その結果、放映権を始め収入を大きな企業に頼るようになった。

 その結果、今やオリンピックは、スポーツ選手の晴れ舞台や、戦争を導いた政治利用への反省から生まれ変わった、平和祭典というイメージよりも、IOCを仲介とした、国家の政治的取引やアピールの場、あるいはそれと企業との癒着がメインになってしまった。政治利用の反省は活かされなくなってしまった。

〇何故開催国の市民の負担が大きい?

 そのような巨大な、開催国の政府やスポンサーになり得る企業にとっては、千載一遇の莫大な政治的・経済的な利権を得るイベントを、出来る限り規模を大きく開催したい(3)。こうした稀に自国で開かれるイベントだから、スタッフの多くは五輪未経験者になり易く(3)、そうすると予算は当初のものよりはるかに大きくなる、という専門家の指摘もある(3)。

 商業主義の運営で或るオリンピックは、国民の税金による政府の援助金だけでなく、各テレビ局などの放映権などの収入が圧倒的に多い(4)。この為日本のテレビ局がそろって五輪に批判的、或いは開催に否定的な報道が出来ない一因だと考えられるが、ここから分かるように企業からの出資も多い。

 一見すると開催にあたり国民の負担が、小さいように思えるが、このように予算を拡大すれば、企業で賄えず、結局国民の負担に行くと考えられる。

 また経済効果が五輪開催期間のみに留まるから、国民の受ける恩恵は少ない。世界に目を向ければ、そうした問題に気づいた市民が多く、招致国減少や反対運動にもつながっていく(3)。

〇IOCの思惑

 こうして五輪そのものが「平和の祭典」になるどころか、国際的に権威のあるスポーツ大会として、企業や権力者などの一部の強大な利権の獲得の場になっていることに気づき、招致に否定的だったり組織体制を批判する市民も出てきており、鵜飼先生によれば欧州ではこうした問題点から五輪そのものに反対する運動が起きているらしい。

 また「国際的なスポーツ大会」なら、世界選手権のように(五輪よりは)政治的に独立した大会も定期的に開かれており、そうなると、五輪そのものの意義が大きく揺らいでいると考えられる。

 そうなると、中止となると五輪の意義が完全になくなり、IOCの存在意義も危うくなるのは避けたいようにも見れる。権力の保持、もあるがIOCのような国際的な巨大な組織が深刻な経営危機に陥ることで、所属委員の生活のも影響が生じうる。

 そのため、何が何でも今のIOCは五輪を中止する気はない。平和の祭典として戦争への抗議としての中止は過去の話で、内戦がある中でもやってしまうありさまだ。

 また、そうなるといかなる場合で五輪を実施し成功させるために絶対的でかつ強大な権力が要ることになる。IOC自身の経済的損失も避けたい。そうなると、開催都市の行政やオリンピック機構に対し、一方的に有利な条件を突き付けることになる。それが東京都との開催都市計画だった。この契約ではすべてにおける運営の責任と損害補償を東京都が担い、財産権はIOCにすべて帰属、契約解除の権限もIOCしか持てないという明らかにIOC優位で東京都を下に置くような契約だった(5)。

 さらに、現会長のトーマス・バッハ氏は、会長選挙時に五輪開催都市と会長出身都市が異なる大陸であるという慣習から、東京での五輪実施には極めて推進派であり、前回で示した東京都が自らの発展のために五輪を実施したいという利害関係でも承知の時では一致していると推察される(6)。

 この契約の内容から不利なのは承知で、それを十分国民に周知せず、五輪の招致過程と言い、復興五輪はおろか、大会に参加するアスリートもないがしろにした「大損失を抱えた利権のための五輪」だったことは明らかだと推察できる。

 この五輪を、特に政府は開催が危ぶまれるにつれ開催の実施を強く主張した。不思議なのはここまでいい所が無いのに何故政府はここまで五輪やパラリンピック開催にこだわることだ。恐らく政府にも、やることで何かの大きなメリットがあるから、実施するに違いない。

 そこの考察は、最終章にて明らかにしていく。

〇参考文献

(1)笹川スポーツ財団. "27. 政治に振り回されるオリンピック". - オリンピックの歴史を知る - スポーツ 歴史の検証 - 特集 - . [更新2021-03-17]. https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/27.html [参照2021-08-10]

(2)国際連合. "国際連合とオリンピック停戦". 国連広報センター. [プレスリリース2004-07-13]. https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/1016/ [参照2021-08-10]

(3)BBC NEWS JAPAN. 英国放送協会. "なぜオリンピック招致から撤退する都市が相次いでいるのか". BBCニュース. [2018-11-20]. https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-46257994 [参照2021-08-30]

(4)株式会社ジャパン・ビジネス・ニュース.  "商業主義オリンピックの運営資金を賄うテレビ放映権ビジネス". [JNEWS会員配信日2013-09-14]. https://www.jnews.com/profit/2013/009.html [参照2021-08-30]

(5)弁護士ドットコム株式会社. "あまりにも不平等なIOCと東京都の「開催都市契約」". サインのリ・デザイン. [最終更新2020-03-19].  https://www.cloudsign.jp/media/20200313-ioc-kaisaitoshikeiyaku/ [参照2021-08-30]

(6)春日良一. 株式会社ハースト婦人画報社. "東京2020はなぜ中止にならないか?五輪生存をかけたIOCの「信念」".Esquire エスクァイア日本版. [更新2021-01-16]. https://www.esquire.com/jp/culture/column/a35189661/why-isnt-the-tokyo-olympics-2020-canceled/ [参照2021-08-30]

 
 

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