見出し画像

生い立ち。- 製薬業界を離れた理由 -【2社目】

新卒で入社した製薬企業での話はこちら

前の記事と重複しますが、働き方を変えることで一部理想に近い働きを実現出来た私は、どうせやるなら情報ニーズの高い環境で仕事をしたいと強く思うようになり、希少疾病領域のベンチャー企業に転職することを決めました。現場出て2年経ってないくらいのタイミングだったと思います。

初めての転職って、会社を裏切るような感覚を持ってしまうかもしれませんが、なんてことはないです。製薬企業にいて転職せずにいる人の方が多分珍しいくらい。

とはいえ上司は評価に関わるので、こっちの人生背負ってくれる訳でも無いのに、辞めると伝えると耳触りの良いことを言ったり、逆にめっちゃ脅してきたりします。

私が言われたのは、
“そんな聞いたことも無いような会社行くんか。ほんとに辞めてそっち行くなら、そっちのエリアに仲のいいマネージャーがいるから、そこのエリアで働けなくしてやるからな”
です。ちなみに転職後の初回挨拶のネタにさせていただきました。ごっつぁんです。

あと個人的に製薬企業で生き残り続けるために大事なことは、有用な医薬品と共にいることです。異常な開発力を有していない限り、社会人人生を全て預けられるような企業は多分ないです。グローバルのトップ企業くらいじゃないかな。
正直内資は今の大手同士がくっついても無理と思う。

と、まぁ若干脱線しましたが、初回の転職で悩まれてる方は、転職すること自体に負い目を感じる必要はないと思います。
基本的に会社は従業員を利用してるので、自分も会社を利用しよう、くらいのスタンスでいいのでは。


本題にうつります。

正直2社目の会社は本当に楽しかったです。
情報ニーズの高い領域で働けたことは、業種変える選択したことにも大きく関わってます。振り返りながら伝えられたらと思います。

希少疾病は海外と比べてドラッグ・ラグの大きな日本において、臨床試験結果も乏しく、実臨床に役立つ国内臨床のデータもなかなか無い、本当に医師の情報に対するニーズが高い領域です。

2社目の会社が扱ってる薬は、希少疾病かつオンコロジーで、治療方針が世界的に固まっていない、当時まさにグローバルで研究が盛んに行われている疾患治療の、ベース薬となりつつあるものでした。

そのため研修の資料は基本的にほぼ全て英語、学ぶ内容も海外の学会報告や関連する海外文献。入社研修時は連日深夜まで勉強し、研修最終日のテストの日は、夜中の1時に出社して、朝テストを受けたくらいです。
研修部の人がホテルにチェックインに来た時にチェックアウトしてたので、頭おかしいって言われたのを覚えてます笑。

それだけ詰め込んでも全然足らず、初回の会議で自分の持ってたMR像がほんとひっくり返るほど同じチームの人が優秀だったので、素直にすげぇこうなりたいと思えました。未だに当時のマネージャーの方は尊敬してます。

当時今の俺と同じ歳くらいか。。やばいな、あんなんなれんわ。


脱線しました。話戻します。


転職して研修を経て、現場に出て感じた1番のギャップは、ほとんどの医師の情報ニーズが高く、且つ今の治療で困っている、という状況でした。

なぜこんな環境になっていたかというと、この疾患に対する研究が盛んに行われている過渡期だったため、エビデンスが乱立してどれを選択すべきか、何がどういった患者に適しているのか、整理をしたくても情報が多すぎて、他の疾患も対応しなければならない医師にはその時間がなかったからです。

だからこそ医師がこっちの持っていく情報に対して基本的に門を開いていました。本当に自分が伝えた情報をもとに患者さんの治療方針が決まるし、整理された情報を持っていくことの重要性を知り、真剣に色んなエビデンスと向き合っていたことを覚えています。

そして、ここから先は正直自分が1番やり甲斐を感じていた、医師や薬剤師の方々に感謝してもらえて、何人もの患者さんの治療に良い影響を与えることが出来た働き方に関することで、かつ製薬業界を離れることに決めた本質的な内容です。

見方によっては嫌な思いをされる方もいるかもしれないですし、開示することが私のリスクにもなるので、前回同様無闇に公開しないという意図で以下を有料コンテンツにしてます。



ここから先は

1,827字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?