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カナダ逃亡記#3:サブカルチャーショック

カナダ逃亡記 第1話はこちら

トロントで最初の夜

2010年2月。ダウンタウン・トロントに到着して、あらかじめ日本から予約しておいたマンスリー契約のホテルマンションにチェックインした。これから一ヶ月ここに滞在する。その間に住む所、こどもの小学校、仕事などを決めよう。いや、決まるのかな?…決まるという事にしとこう!

ホテルのある場所はトロントで一番の繁華街で、近所には24時間開いているスーパーや、アダルトグッズの店、同性愛をサポートする7色の旗がはためくレストランなどがいくつもあった。東京でいうと、まあ、新宿界隈の雰囲気だ。車道の道幅は広くないが、それゆえに車の流れも悪く、いつも埃っぽい。

僕は20歳を超えてからこの時までに何度も引っ越しをしてきた。アメリカに住んでた時と日本に帰ってきてからとを合わせると、10回以上引っ越ししている。どの引っ越しの時も新しい場所に住むことは楽しいことだった。新し街、新しい景色。

しかし今回はやはり気持ちが違う。とても緊張している。初めて来たカナダで旅行のようなワクワクした気持ちがむくむく上がってくるのを半ばむりやり制御するスイッチがはいったような、妙な感じだった。「さあ、遊びにいこう!」と言ってはいけない緊張感。この時点では、まだ検察の動きなどを把握してなかったので、当然だったと思う。まったく安心できない。そう、我々はFugitives(逃亡者)なのだ。

ビールが買えない!

トロントに着いた晩、取りあえずビールでも買ってきます、と家族をホテルに残しひとり外に出た。日曜の夜9時過ぎ。
行く店、入る店、ビールが売ってない。あれ?と思い、ビールがどこで売ってるか道行くお兄さんに聞いてみると、「あそこの角を曲がるとビールが売っている店があるけど、この時間はやってないと思うよ」との答え。
そんなバカなと思い、お店(the Beer Storeというビールだけを売っている店)に行くと、入り口には「夕方の5時に閉店」と書いてあった。

「なんだこれは?」
2010年の当時はスマホも持ってなく、その場で理由を知ることができなかった。ビールが買えないなんて、先進国でそんなことあるのか?これはクリスチャン※の教えなのか?日曜日の夜は酒を売ってはいけないってことなのか?
(※カナダは国民の77%がクリスチャン→wiki

日本に長い事住んでいてビールが買いたい時に買えないなんてことは、経験したことがなかった。ニューヨークのマンハッタンに住んでいた時もビールなどはいつでもどこでも買えた。茶色の紙袋にビール缶をいれたまま、バイト帰りの夜道を歩きながらよく飲んだものだ。

しかしここ、カナダ一の大都会の繁華街において、ビールを買うことができない。なんてこった!どうしよう、コーラでもがぶ飲みするか…

これはちょっとしたカルチャーショックだった。

サブカルチャーショック?

しかたがないので、そのまま家族の待つホテルに帰ることにした。
途中で興味深いショーウィンドーの前で立ち止まる。そこはマリファナの種を売る店だった。世界中から集めたのか、何種類もの種がガラスの瓶に詰められ並べられている。それぞれに産地がどこどこ、アムステルダムの大会で優勝した種、など書かれている。他にも、正直とても趣味の悪いマリファナを吸うためのガラス製のパイプが売られている。この界隈は観光客も多く、この店のような「マリファナ・グッズ店」が数多くあることを後で知った。

カナダにおいてマリファナは合法みたいなもので(※2010年当時 現在は合法)、トロントではニューヨークよりもずっとおおっぴらに人々が吸っていた印象がある。最近ではカナダ自由党(最大野党)のイケメンな党首(Justin Trudeau)が「自分もよく吸っていた」的な発言をして、物議を醸す、というよりはちょっとしたジョークのようにニュースで取り扱われていた。それくらい、カナダでマリファナを吸う事は違法でこそあれ、だれも気にしない普通のことなのだ。
(※ジャスティン・トルドーは2021年現在カナダの首相)

そんなことは知らず、僕は物珍しい商品をショーウィンドーのトランペットを眺める少年の様に見ていた。
すると、電気が消された店の奥に人影がちらちら見え、僕に気づくと声をかけてきた。
「あんた日本人かい?ここにも日本人がいるんだ。中に入るかい?」

店内は暖かいのか、Tシャツを着た白人の青年がドアを開けて話しかけてきた。一瞬の躊躇はあったが、好奇心の強い僕は閉店後の店の奥で何が行われているのか興味津々で、中に入れさせてもらうことになった。

店の奥は小さなラボのようになっていて、そこのボスらしきお腹の大きな白人のおじさん、そしてひょろっとした日本人青年がいた。
青年はガラスの瓶を熱して、それをぐいぐい曲げ、パイプを作っている。この店の商品になるパイプを作っているようだ。
AC/DCの音楽がかかっていて、「ああ、AC/DCだね」と僕がいうと、そのボスは「お前も好きか?」と、顔中にいっぱいはえた白いヒゲのむこうに、よくわからない歯のようなものをうかべにっこり笑った。よく見ると、TシャツもAC/DCだった。

日本人青年の方は、トロントに多勢いるような日本人の若者とは少し違う雰囲気を漂わせていた。
日にやけた素肌で顔が小さく、動物のような目つきをしていた。もうここで長い事働いているのだろうか、自分はこの道でいく!というような何か「覚悟」めいたものを漂わせていた。

「最近はこのオイルが主流なんですよ」
青年はマリファナのTHC成分を抽出した琥珀色のオイルを僕に見せてくれた。よかったらどうぞと、趣味の悪いガラスの専用パイプを僕に差し出してきた。マリファナのオイルというのは自分には全く未知のものだったが、危ないものではないと判断し快くオファーを受けた。

スポーツ飲料がすっと体にしみいるように、雑味をいっさいとりはらったケムリが喉を過ぎて肺に入る。体中を暖かくするような感覚がゆっくりと広がるのがわかった。最後にマリファナを吸ったのはいつだか思い出せないくらい前のことだったので、とても新鮮な体験だった。

見ず知らずの僕を店の奥に招き入れ、基本的には非合法なマリファナを吸わせる。つい昨日まで日本に住んでいた僕には大きな驚きだった。トロントってこんな街なの?これはカルチャーショックならず「サブカルチャーショック」だった。

本当はもっと長居したかったが、ビールを買いに行ったまま帰らない僕を家族が心配しているだろう。ほんのひとときだけ滞在した僕は、礼をいって店を後にした。

「なんかあそこで面白いもの撮影できないかな。」
店からの帰り道、映像以外には他の仕事を知らない僕はその様なありもしない事を想像していた。現実としてはすぐにでも金につながるような仕事の事を考えないといけない。ただあまりにもこれまでに逼迫した日々を送っていた為、本能的に楽しく気が晴れることを求めていたのかもしれない。実際にこの夜だけはいっぺんに体もほぐれ、気も晴れた。

トロントの生活も良いに違いない。小さな希望が産まれた夜だった。

パイプ屋があった通り

<カナダ逃亡記#4>へ続く

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