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渋谷の金王八幡宮で見つけたセレンディピティ

久々に訪れた金王八幡宮

先日、20年来の友人がヘビメタのライブを青山でやるということで、観に行くことにした。夜8時過ぎ、事務所のある三軒茶屋のあたりから自転車で代官山をぬけ「八幡通り」を青山方面に向かう。途中で左側に鳥居がみえてきた。普段なら決していたずらに神社を訪れない私だが、この夜に関しては違った。本当に勝手に足がそっちに向かう様に「今王神社前」の信号を左に曲がり、参道を進んだ。先には鬱蒼とした木々に囲まれた八幡宮の神門が見えてきた。

夜の神社は何となく躊躇する

八幡宮の入り口には10段程の階段があって、昇りきった所に鳥居があり、さらに神門がある。私はここにきて参拝の理由も特になく境内に入ることを躊躇しはじめた。明るい時間ならまだいいが、階段の下から覗う八幡宮はこの都会にありながら黒々と闇をつくっていて、なんだか怖い。人の気配が感じられず、逆に人がいたらいたでなんだか怖い。私はこの八幡宮の氏子ではなく、本当に参拝する理由がないのだ。しかし信号の所で引っ張られるように左に曲がってここまで来たことには何か意味があると思い、問題が起きれば走って逃げようという覚悟で階段を昇った。

思いがけなかった素敵な場所

階段を昇り切ると真っすぐな参道の奥に本殿が見えた。暖色の照明で下から照らされた本殿は遠くから見ると黄金のように輝いてみえる。一言でいうと、とても趣味のいい照明だ。居心地がよいというか、自分が受け入れられているというか。本殿の背後は大きな木々に囲われ、その向こうには渋谷の夜の高層建物が煌々とみえる。境内の外はまったく別の世界。夜の照明によって世界の隔たりがはっきりと見え、この場所の神聖さを際立たせているように見えた。

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手水舎で口を漱ぎ本殿へ歩み寄る。その時、この瞬間まですっかり忘れていたことを思い出した。

3年前に撮影した時のこと

3年程前の夏、私は「歌手の中西圭三さんが朝にぶらぶらする」という旅番組のディレクターをしていた。この時は「渋谷周辺をぶらぶらする」というお題で、夜明け前のハチ公前あたりからの撮影だった。金王八幡宮まできて一通り撮影をすませたあと、お賽銭を投げ入れるところも撮ろうとなった。中西さんは鈴から下がった鈴緒を手にとり、そこにちょっとした驚きを発見する。鈴緒を掴むところにある六角形の木の筒(六角桐枠)に、中西さんが崇拝するデビッド・フォスター氏(アメリカの音楽プロデューサー)の名前が刻まれているではないか※。どういういきさつでここにデビッド・フォスター氏の名前が刻まれているのかはわからない。ただ撮影では中西さんの素直な驚きの表情が撮れて、私もまったく予期しなかった良い撮れ高になった。その後、なぜデビッド・フォスター氏の名前が刻まれていたかの答えには到達できず、今も謎のままだ。
(※追記 あとで気になって昔の映像を見てみると、そこに刻んであったのはデビッド・フォスターの名前ではなく、南里高世さんという音楽プロデューサーの名前でした。この方はデビッド・フォスターが1983年に日本制作でリリースした初ソロ・アルバムのプロデューサーということでした。謹んで訂正いたします。佐藤公昭)

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そんなことを思い出してふと我にかえる。自分はあの3年前の撮影の後、一度もこの場所を訪れていなかった。この界隈を歩くことも全くないので、思い出すことすらなかった。そこで、たまたまこの八幡宮の側を通りかかった私に、目に見えない何かが「せっかく近くに来たんだから挨拶でもしていけよ」ということだったのだなと、そう解釈した。

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「ご挨拶がおそくなってすみませんでした。3年前の撮影の後も、なんとか映像で喰いながら家族を養っております。これからもバンバン稼がせてください。」などと口ごもりながらお詣りを済ませた。残念なことに、そこにはデビッド・フォスターの名が刻まれた鈴緒はもうぶらさがっていなかった。もしかするとコロナのせいで取り除かれたのかもしれない。

しかし思いがけない素敵な場所の再発見だった。
私は八幡宮を後にヘビメタライブ会場へと向かった。


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