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早起き習慣と、書くことと

習慣化するときに大切なことは、毎日すること。

そして、この習慣というのは、やむを得ない場合は休んでも良いとされている。

しかし、休んでもいいとされているのは、3日まで。
3日以上休んでしまうと、習慣化するのは難しいという。

…3日休んだな。
早起きするのをここ3日ほど、休んでしまったな。

理由は、体調が悪いからとか、寒いからとか色々あるが、まぁ、早起きの習慣を3日ほど休んでしまったわけですよ。

今日はなんとか起きれたけど、明日からまたおきれるかどうかは分からない。

よくいうじゃないですか。
成功者はみんな早起きだって。

だから、自分も早起き派になろうと思ったわけですよ。
5時位に起きれば、これってもう早起きですよね。

分かるよ。
成功者は早起きな人が多いけど、それはその早起きした時間に有意義な行動をしているからこそ成功者なわけで。

近所の早起きのおっさん全てが成功者でないのを見る限り、早起きしたから、全ての人が成功するわけではないことくらい分かっている。

だから、あまり意味はないのかも知れないけど、まぁ、早起きすると気持ちが良いのも事実。

特にメンタルですかね。

もちろん、起きる寸前は最悪ですよ。
毎朝5時に起きようと決めた時、それを実行し始めたときは、気分が上がるわけがない。

「…どうしてこんな苦行をしなくてはいけないのだ…」

なんて、毎日毎日ぼやきながら起きていた覚えがある。

今だって、半分習慣で起きているとはいえ、起きるのはつらいのよ。
最近寒いし。

起きて何するかって、起きぬけにnoteを書くことだし、書くことがないときはことさらしんどいわけですよ。

まぁね、この書くことがない、の解決法はもう分かっているけど。
それは、『ただ思ったことを書く』ってだけ。

これがね、思いのほか、書けるのよ。
ただ思ったことを書くだけなら、だれでもできる。

書けない人っているじゃないですか。
なにを書けばいいかわからない人って。

これ、周りの反応を求めすぎているからなんだと、最近になって気づいたわけですよ。

書けないのは、書くことに誰かの反応を求めているから書けないだけで、思っていることをただただ書くだけなら、誰にだって書けるんですよ。…多分。

反応を求めていなければ、わりと文章なんて書けるものですよ。

…その文章がなんの意味があるかはわかりませんが。

でも、文字を書くなんて、本来ひとりよがりのものじゃないかと思うんです。

思えば、小学生の作文なんて、「超自分ごと」しか書いていなかったわけだし。
その「超自分ごと」をブログに書いてはいけないなんてルールはないのですよ。

だから、好きに書けば良いのです。

今日も、思ったことを書いてスッキリしました。
これで、僕が救われる。

おしまい。

サポートされると、僕が喜びます。僕が喜ぶと、文章のノリがポジティブになります。