自戒

修行の初日にトンデモないアクシデントが起きて修行が続行できなくなったとしたら それは神仏が 「今のままでは修行はさせられぬ」 と言っておられると受け取るのが修行者
修行の足しにどうぞ、と相手がいうのと これ買って、と自分からいうのは違うし それによって起こる事は自己責任なんだよね

だから本当の素人が何もわからなくてそれをしていたら 徳を損なって逆に損するから自分で働いて欲しいものは買いなさいと言うけど
それで生きていくと思ってそれで成り立っているのならば 自己責任だし その人の道だから、頑張ってと応援はする
でも、せめて得度くらいはしとかないとと思う

自分の滅罪生善や罪障消滅を祈る自行で、他から金品をもらったら、自分の業だけでなく、他人の業まで背負ってしまうから、潰れてしまうのは当然なんだよね
それは利他行をできるレベル、つまり僧侶や神職だとかそういう他人の業も背負って祈れるレベルにならないと自滅する
神職や僧侶でも自滅してる

何かトラブルが起きてから
ほら見たことか とか言いたく無いから
そういうのを感じた時は知り合いならかなり口うるさくいうし、金品を簡単に上げる周りも悪いと言って、周囲の善意のつもりの人たちを白けさせたこともあるし
そういう人で私の祈祷を受けていた人は辞めてもらっていた

何度も 「貰う方も渡す方も地獄に落ちる」 とか 「それはお布施じゃない」 とかいう私をうるさい奴だとか、嫉妬してるんだとか思っていた人もいたようだが プロとしてアマチュアに警告してただけ
神仏は最初は黙ってみているけど
近づけば近づくほど怖くなる
今まで許されたことも許されなくなる

私も御奉納を受け付けてるので同じ穴のムジナと思われるのかも知れないが 私は神職で神仏に仕える事で神仏に食べさせて頂いて、生かされてると覚悟してる
だから、神仏に関係ない自分の趣味嗜好品は御奉納ではないと思っていて、猫の餌もお菓子も自転車も頼んだ事はない
私物は自腹で買うのが鉄則です

だから今回は神仏の警告と受け取って欲しいし
なぜ警告を受けたかを身体を休めながらじっくりと考えてほしい
一回目が警告で済んだのは神仏が導こうとしているのだし、大きな意味で導かれているからだ
障礙が出るということは神仏がそこに関わっているからだ

みな凡夫なので誰かを責めてはいけない

まだ修行者ではなく修行に入ろうとしている者を、周囲がもてはやすろくなことにならないと、安易に金品を贈る者にこそ学んで欲しい
そういう安易さが今回の原因になったと思っている
そんな金を持っては近寄らせんと神仏か眷属が思われたのか
無一文で行った初心を思い出せということか
知らんけど

御奉納は神仏が御奉納者の真心を受け取るのであって、私はそれを預かって管理運用するだけにすぎない
御神酒や線香や蝋燭は神仏への供養だし、神具やお宮や三宝や供物台は神仏への祭祀に必要な物 ただ、蝋燭でも数百円はする
数百円でも厳しいけど何かお賽銭はしたいという方もいるのもわかる

貧者の一灯、長者の万灯というが 例え1円でもお供えしたいという真心を無視してはいけないと、ある時複数の方面からお愉しを受けた
お気持ちだけでというのも私の私心だと気付いたし
それを受けないなら中取り持ちではないとわかった
PayPayに否定的だったけど導入したのはそのためだがまだ試験的導入

こういう 「お試し」 がこのタイミングであるということは
本気かどうか神仏に試されているということだし
やっと門前に立てましたね という感じで
入ってもしんどいことばっかりで何も良いことないかも知れないけど
神仏は常に見ておられるよ
と同じ立場の者として遠くから見守っているつもり

神仏に関わる者は公私の区別をきちんとつけないと 一瞬で慢心して地獄に落ちる
普通の人なら許されることも許されない
そういう覚悟で生きていくべきであるし
神仏を自分の都合よく使って生きることはできないと思い知らされる
他者への神仏の強烈な警告を、自分へのメッセージと受け取らねばならない

他者の不幸を他人事と思う人は他者のためには祈れない
自他という分別は究極にはなくなるのが祈りの境地
そうでなくては加持祈祷はできない
私などは例えば猫寺の阿闍梨や御一門からすれば行者でもなく児戯にも等しい祈祷かも知れないが、それでも祈るしか出来ないので拙いながらも一生懸命に祈る

誰が悪いということではなく、通るべき道を通っていると思います
多分遍路じゃなくて得度するべきじゃないかな
他人がいうのもなんだけど
これ以上のお節介は不要だと思うけど
なのでこれまでの今日のツイートは全部私の独り言で
実在の人物や出来事とは一切関係ないフィクションです

私がなぜ数多の人に嫌われて来たか それは忖度せず本当の事しか言わないから
人間界でそれでは摩擦や衝突が起きるよね、と知命に近づいてやっとわかって来ました
なので人間界に身を置きつつも魂は神仙の世界に遊ばせて、引きこもって祈りに生きて、出来るだけ他人に迷惑をかけないように生きています

昨日、急に自分の脈も乱れ、胸が痛み、それから他者のお試しを知って、これは自分への警告であると思った
それで自分の心身を調えて、それから帰宅してから一心に祈った
本来は秘すべきものもあえて有縁の人々にも一緒に祈って欲しく思い、一瞬だけ神仏にお願いして表で祈った
祈りの力を知るからだ

人の振り見て我が振り直せ と古人は申しておりますね

全て懺悔行から始まります
私は悪いことをしたことがない
それが一番懺悔すべき心です
自分が生まれる前どころか宇宙が始まる前から積み重ねた様々な罪は自覚しなくてもその人の心の奥底に沈んでいます
それを懺悔することが始まりで
一生懺悔して生きていくくらいのつもりで生きれば良いくらいです




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