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noteをはじめたのは、書くことが嫌になったから


#自己紹介

noteをはじめてみたので、記念に1つ記事を書いてみようと思う。

自分は小学生のころから文章を書くことが好きだった。絵を描くことが好きだったのもあって、オリジナルの絵本をつくってみたり、学校の出し物で漫才の台本を書いたりして、人に喜んでもらうことが好きだった。

いま読み返すと非常につたない小説なんかをいくつか書いては、自分だけで楽しんでいた時期もある。これに関しては恥ずかしくて、誰にも見せたことはない。そして壮大な設定を広げすぎて、どれも完結したことはない。

ああ、そういえば中学生のころにユーキャンの小説家講座みたいなものを一時期やっていて、3作品の短編だけ出して一応修了まではいったんだったっけな。

学校で書いた作文を読んだ担任に「将来、物書きになれるんじゃない?」と褒めてもらうのがうれしくて、どんどん書いたし、自分から書くための勉強を惜しまなかった。

語いを増やしたくて、本をたくさん読んだのはもちろん、子ども用の辞書を1ページずつめくっては、気になる単語を書き写したり。「こうして書き続けていれば、いつか小説家になれるんだ」と、中学生までは信じて疑わなかった。

高校生になって、「図書局」という生徒会の外部組織のような部活に入った。本が好きだったし、それを発信したかったから。

活動の多くを占めるのは、図書館だよりの発行だった。本の紹介文を書くだけでなく、発行月にちなんだ季節のコラムや、図書館連イベントの取材(といっても見に行って感想を書くだけ)、学校の文化・芸術関連行事にちなんだ特集を記事にして、イラストレーターで編集する。新聞部みたいな感じで、日々、何かしらの記事作成に追われていた。添削をしてくれる国語教師だった当時の顧問が結構厳しくて、何度かやり直しをくらうこともあった。これらの活動は、今の仕事にとても生きていると思う。

ちなみに新着図書の紹介記事が占めるのは紙面の6分の1ほどしかなくて、1ヵ月に2本だけ。字数が少ないのもあり新入生御用達記事みたいな扱いになっていて、これがなかなか担当に当たらない。そして自分が読みたい本ではなく、顧問の先生がプッシュしたい本から選ぶ形だったので、ものによっては苦痛な時があった。

そんな感じで、好きだった「文章を書くこと」が、なんだか文章に追いかけられている感じがして、つらく思い始めたのが高校時代。

当然、小説なんてやめてしまった。世の中には高校生で小説家デビューなんて人も結構いて、そんな人たちをうらやみながら、書くことから逃げてしまった。

そしてなんやかんやあって(これはいずれ書きたい)転職の末、いま、ゆるめの記者の仕事をしているんだけど、やっぱり文章に追われ続けているような感じがする。特にいま、結構なスランプで。取材から帰ったらすぐに書くべきなのに、記事を書き始められない。置いてから書き始めるから、全然かけない。そして未着手記事が山のようにたまっていく。(明確な締め切りがない弊社にも問題がある、と責任転嫁してみる)。

書くことが好きなのに、なんで苦痛なんだろうと考えたときに頭に浮かんだのは、「書きたいことを書いてないから」ということだ。

いま、WEBライターを目指そうかなぁなんてぼんやりとした甘い考えで本業を辞めかねているんだけど、(そして業務時間内にコレ書いてるんだけど)、WEBライターになったって、書きたいことが書けるわけではないんだろう。

どんな仕事を選んでも、「書きたいこと」「やりたいこと」ができるなんてことはほとんどないし、望んだことすら義務になってしまえばどうしても苦痛を伴う。

だから自由にのびのびと表現できる場があればいいな・・・と思い、とりあえずnoteを始めてみた次第。前置きが長かったなぁ。

なんか・・・ほかの方の記事を見てたらプロすぎてしょんぼりしてしまうんだけど、あまり気にしないようにする。

アラサーのオタクなので、全盛期に個人サイトをつくってみたり、ブログをはじめてみたり、いろいろなものに手を出してみた。でもどれも続かず、そして読まれることを意識したことはなかった。

テーマは全然決まってないんだけど、少しは誰かに見られる・誰かのためになる記事を意識しつつ、雑多に書き続けられたらいいな。


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