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『浮遊バグ』の後に残るもの

はじめまして、もしくはいつもありがとう。


書くことなんてなかった

年始に出したアルバム『浮遊バグ』と、
そのサイクルを締めくくる『cadode Live "浮遊バグ"』について。

今回は、インタビューやラジオやイベントで、アルバム発売後には色々と言語化する機会がありました。思っていたよりも多く。ありがたい。

で、それ故に、書くことがなかった。
noteに残しておきたいなとも思いつつ、なんとなく話しきってしまったんですよね。

元々、作品については解釈を任せたいタイプで、それぞれの心の空白に好きに使ってもらえたらいいと思っています。
だから曲をリリースする段階では説明するための言葉を用意していなくて、大抵質問されてはじめて言語化される。
およそ5か月前、その言語化はもう十分かなと感じてしまった。

その時期には素敵なインタビューや批評を沢山いただいたので、
以下の小話を読む前に、ぜひ読んでみてください。

で。
それはそれでいいのだけど、
今回はリリースからしばらく経ったし、
サイクルの区切りとなる『cadode Live "浮遊バグ"』に際して、
そのあまりを書こうと思った次第です。


1.さかいめだらけ

なかなか完成しなかった。
『回夏』でサマータイムレンダという物語全体の本質を目指し、さらに1期2期のOPED、計4曲で互いに補完されたな~~~と思っていたので、「その先」を描くことにいちファンとしての悩みがあった。
特権ではあるのだけど、私が何を描いても作品へのイメージの反響が発生する。『回夏』のときにはその感覚に至る前に完成していたので、初めて衝突する壁だった。
谷さんとebaさんなしでは出来なかった。前を向けたかもわからない。
いつも本当に感謝しています。曲制作とか抜きで。
結果的に、cadodeとしても、個人としても、一歩先へ進めた気がします。

足元の影をたまに見つめては、また前を向く。誰かに呼ばれて。

作詞時のメモ

2.浮いちまった!

アルバムの表題曲。でも中心ではない。
とにかくハッピーだという声もあれば、
むしろ不気味だ、という声もあったのが印象に残っている。
「浮遊している人間」というのは、
当事者はハッピーだし、周囲は不気味。
みなさんはどうでしたか。
私はMV撮影、終始楽しかったです。

3.寺にでも行こうぜ

唯一ライブでやっていない曲。
『cadode Live"浮遊バグ"』まで取っておこう、と結構前に決めた。
この曲が出来たとき、アルバムを作って良かったな、と思いました。
新しいことをやりたいと思っていても、
普段は無意識にセーフティがかかっているもので、
そのセーフティを外したら結局良かったね、と。
cadodeとは何か、自分たちで改めて定義できる曲は、
出来たときに大変嬉しいものです。

4.回夏

サマータイムレンダの関係者とファンのみなさまと共有できたこと、
沢山の方に聞いてもらえたこと、その他諸々、
良かったです、本当に。
別の記事でも書いたし、まだ書こうと思えば色々あるんですが、
あえて留めておきます。
ありがとう、これからもどうぞよろしく。

5.逆風

タイトルから決めた珍しい曲。
このアルバムで『浮いちまった!』『逆風』を先行リリースするの、そこそこ攻めてるな。全貌が分からない。
cadodeは3人とも「怒り」という感情が薄い(ように見える)が、
この曲を聞くと心の底で色々モヤついてたんだね、と思う。
各々の、自覚のないフラストレーションへ届きますよう。

6.シュウ末紀行

ファンタジーと現実を行き来する、
『あの夏で待ってる』とかに構造上近い曲。
アルバムの中でも前半と後半を繋いでいます。
タワーレコードのリリースイベントで初めて歌ったのが思い出深い。

「こんなとき あなたならどうする?」は、
ここ10年、どうしようもない思いに苛まれたとき、天井や空を見上げては、
母に問いかける言葉だった。

うだつが上がらない週末に、世界の終末に、何をしますか?

作詞時のメモ

余談だけど、最近宇多田ヒカルの『Fantôme』を聞いていて、
『道』にほぼ同じフレーズがあることに気付いた。
母を亡くした人が立ち止まったとき、同じ問いかけをすることに、
ひっそりと感慨を覚えた。

7.hunch

昨年のライブ『虫の知らせ』の英題。
『シュウ末紀行』を経て、ファンタジーから現実へ戻っていく、
その過程の曲。
アルバムの歌詞カードでどういった画にするか、一番悩んだ気がする。

8.かたばみ

9.光

この2曲はそれぞれ別の記事があるので、そちらをご覧いただくとして……
『浮遊バグ』は現在地だ、ということを、
リリース時のインタビューでは度々話した。
現在地の確認作業ではなくて、作った結果、現在地だった。
私たちは今はきっと次の地に向かっていて、
今は『カモレの夏』の次の曲のことを考えている。

それでも、この2曲は普遍性をもって私に問いかけてくる。
何かに触れすぎて疲れたとき、自分の作ったもので自分が救われることがある。凄く直接的に。
見て、聞いてくれているすべての人に愛を込めて。

10.近道

マンスリーライブ "残機3"にて、特典として紙ジャケットを刷った。

事務所の机、傷が多い

cadodeは3人なのに4人いるんだが……?
と、質問を受けたので、この写真についてここで話しておきます。
一番最後に書いておいてなんだけど、この話がこのnoteを書く一番の動機です。確かに説明不足。言い残したこと。

元になった写真は、私がイスタンブールで撮ったもの。当時は16歳だった。
この国は歳の離れた友人たちと、4人で巡った。
2021年の春、そのうちの1人が亡くなった。海外に出る旅で偶然出会った、高校の先輩だった。

ほぼ同じくして、私は祖父を看取った。
友人の訃報を知ったのは、それからすぐのことだった。

『あの夏で待ってる』の小話にて、祖父については書いたけれど、
友人については書かなかったな、と。


ふと、「死」のもたらす隔絶について考えた。
お互い生きているけど結果的に一生会わない人、
亡くなって二度と会えない人。
主観的で物理的な結果としては極論一緒なのに、
ここにはきわめて大きな隔絶がある。
死を目の前にして、「どこかで生きてくれていたらそれでいい」という救いが機能しなくなったとき、ひとには何が残されているのか。
そうして『近道』の最後、『浮遊バグ』の最後を書きました。



おわりに

全部読んでくれてありがとう。
ライブ『浮遊バグ』では、
アルバムとは違った一つの体験を見せられたらと思います。
『浮遊バグ』の後に残るものを、感じてほしい。そして教えてください。

いつもありがとう。これからもよろしく!
koshi


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