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僕のおばあちゃん

僕のおばあちゃんは3年前に他界しましたが、振り返ってみると自分にとって影響を与えてくれました。

僕が生まれたときには、おじいちゃんはもう他界しておらず、曾おじいちゃん、曾おばあちゃん、おばあちゃんと両親の6人でした。その後、弟も生まれ8人の時期がありました。

小さいときにはよく曾おばあちゃんには叱られましたが、おばあちゃんには叱られたことはありませんでした。そもそも怒ったところを見たことがありませんでした。曾おじいちゃんは静かな人でよく夕飯のトマトを何も言わずつまみ食いしていたのを記憶しています。

いつからか両親ではなくおばあちゃんと一緒に寝るようになり、おばあちゃんの団体ともよく一緒に付いて出かけました。

この頃から同世代以外の中で会話をする機会が生まれ、僕にとっては当たり前のことになっていきました。
この頃の経験が今となってはとても良かったと思います。そのこともあり、どちらかと言うとおばあちゃん子だと思います。

昨今、おじいちゃんやおばあちゃんと同居している家族は少なく、近くにいても実際の生活をみることはほとんどない気がします。

僕は曾おじいちゃんと曾おばあちゃんを自宅で看取ることができ、介護している風景をなんとなく覚えています。老化していくリアルな経過を見たことで、きれいなことだけじゃないことは当たり前のこととして記憶しています。

ある日のこと、当時牛を飼っていたのですが、「牛のしまい方がわからん」とおばあちゃん。会話はいつも通りできるのにさっき話したことを全く覚えていない。直ぐに病院を受診しました。結果は小さな脳梗塞があり、早かったこともあり、翌日には元通りになっていました。
現在は医学的な知識もあるため理解できますが、当時は不思議なこともあるんだなと思いました。

そんなこんなで社会人となりましたが、おばあちゃんの認知症から他界まではまた後日。

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