粉石けん運動、覚書

京都新聞の記事で知りました。
今年で、滋賀県の富栄養化防止条例制定から、40年になるのだと。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/82515

当時をうっすらと知るものとして、感慨もありつつ、
滋賀県内にする人でも、遠い昔の話となった様子。
なので、40年後の総括を、一文にまとめることにします。

この文、いつ完成出来るかわかりませんが、
亡き母と、そのお仲間へ献じます。。

大まかな経緯。
1970年頃……夏場に琵琶湖南部分(南湖)で植物プランクトンが異常発生した。その結果、湖南地方の水道でカビ臭が出た。
76年を皮きりに、湖面に水質の悪化が目に見える形で現れた、赤潮である。

水質汚染の理由は、早くからリン・チッ素の無機塩が増えたこととわかっていた。
行政は、できたばかりの公害三法での規制が加わり(73年)、さらにそれへ上乗せする強い規制を条例とし、工場に課した(76年)。だが、特にリン酸塩の濃度は上がるばかり。生活排水に原因があるのでは、と示唆もあり、住民運動が動き出す。
最初は、湖南地方で出来て間もない生活協同組合から動きが出てきた。その頃は、合成洗剤追放運動と言っており、「粉石けんを使ったかしこい洗濯のしかたを勉強しよう、という感じで、公民館の一室を借りて、小さな集会を繰り返した。
(私ごとだが、私の母はその頃に啓蒙されて、活動に加わったひとり。当時小学校に行くか行かないかの年頃だった私は、訳わからないまま、そうした集会の片隅で同じ年頃の子どもたちとだべっていた。……この子ども同士のつながりが、ちょっと後になって、別な文化活動団体につながるのだけど、それは余談)
次いで、主婦連、などなどの市民団体の自主活動が5年ほど続き、そこへ、公民館活動などの行政が加わるようになり、まもなく、県民運動(組織名です)として束ねらることになった。
一方、市議会県議会は、市民活動を「熱心にやってはるなあ」的にぼーっと見ており、条例化には大きく遅れてしまう。また、活動者側も、議会でなく行政現場へ働きかける、という具合でもあった。
……だがさすがに、半分官製となった県民運動に法根拠がないのも、座り悪い。79年頃だったと記憶するけれど、県議会への請願も始まった。

(様々な背景・因子)
生活者側の因子
・コミュニティーの強化、再構築
・「おいしい水が、引っ越しのメリットだと思ったのに……」
・市民活動の勃興期(周辺都市部の後追いだが)
・専業主婦と自営業主婦の存在……日中人口が高かった時代

行政側の因子
・下水道の不備(湖南では人口急増への対応が先。後回しにせざるを得ない)
・水源としての価値を維持・向上を狙う。
・自治行政の規範としての「民主的な社会構築」

#琵琶湖 #粉石けん #環境問題

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