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短編小説集『4/100 母が台所に立って』
母が台所に立って料理を作っている。その後ろ姿には、何人も寄せ付けない、、、一家の胃袋を支えてきた貫禄がある。私は彼女が厨房に立っている姿を見るたびに、自分が料理の腕をふるう日は来ないだろうと思わせられる。もちろん、そんなものはありもしないが。
冷蔵庫のガラス瓶に詰められた人参やきゅうりのピクルス。レンジでこんがり焼かれたサツマイモ。まるで薬品の入った棚のように色とりどりのスパイスがカレーを香ばしくする。
手料理への感謝は当然だが、ときとして、新鮮な空気を求めて外食産業の灯りが懐かしく思える。それは、贅沢だろうか。
母は間違いなく我が家を支えてきた。彼女なくして、家族の健康は守られなかっただろう。
そんな母も、今はどこか遠くを見据えるような目をして、郷愁をおびた老木のそれになりつつある。
これが女の一生なのだろうか。
もっと人生を選ぶことができたのではないか?
そう思うのは、愚かな男たちの身勝手さだろうか。
すでに生きていて返せないくらいの恩を、母からはもらった気がする。
それが親として、当然の役目というのなら、孝行とは一体なんなのだろう。
出鱈目な人生を生きてきた。それは他人様から見れば、粗末なものだったかもしれない。
そんな私に、母はいつも三度の食事で文字通り、生かしてくれたのだ。
こんな親を恨めしく思い、殺してしまいたいという傲慢さが心に蠢いている。それは病みかもしれない。ただ、抑圧された自由への衝動が、歪んだ形で現れているのだとも思える。
私は病いに臥すずっと前から、こんな気持ちを親に向けてきた。秘めてはいたものの、それは態度や表情に現れていただろう。むすっと黙り込んで、相手を人とも思わない態度で接する。そんな我が子に、母は手のひらを返すこともなく、、、。
なんなのだろうと思う。親とは一体なんなのだろう。
親になれなかった私でも、こんな尊い、誰か見知らぬ人たちが願い、育んできたもののおかげで生かされている。
ただただ、思い起こしたいと願う。この想いを忘れてはならぬと。
ありがとう、お母さん。
ありがとう、お父さん。
ありがとう、見知らぬ誰かの残してくれた、目には見えない糸の絆(きずな)よ。
ありがとう、、、ありがとう、、、。
今、言えるのはただそれだけだ。
この木偶の坊に、安堵と温もりをくれる家庭。
それがいつ壊れるのか、分からない。未来が来たとしても。
この温もりだけは確かなものだった。