見出し画像

川柳で若い世代にエールを送りたい 23/3/5

1.川柳の一言コメント

「最強の応援団は母でした」

 一般的な子供、特に幼児の感覚として、父親は怖くてとっつきにくく、母親は優しくて親しみやすいというものがあります。

 もちろん個人差があって、怖い母親や優しい父親もいます。しかし、子供は胎児の頃、母親の胎内で母親の心臓の音を聞きながら成長し、母親は、自分の身体の中で10か月余りも子供の命を育み、赤子として生み出します。

 母親は、妊娠中に自身の体調の変化がありますし、出産時に大変な苦痛が伴います。この事は、母親の我が子に対する愛情の深さに大きな影響があるのだと思います。

 一方父親は、子供の父親としての実感が湧いてくるのは、妻が出産してからではないでしょうか。(私は、女性を妊娠させた経験が無いので推測ですが)

 母親は、どんな時でも子供を理解してくれて、常に子供の味方で居てくれるありがたい存在ではないでしょうか。しかし、子供は勝手なもので、普段はそれが当然の事と感じて、母親に感謝の言葉を伝えません。

2.私の経験で思う事 

 「親孝行したい頃には親は無し」という川柳があります。「親の心子知らず」という事もよく言われます。私も子供の頃、親にさんざん面倒をかけました。

 私は、何事も時間ギリギリにならないと出来ない性分で、小学生の頃から遅刻の常習犯でした。この性分は今も変わらず、もしかして病気ではないかと思うのですが、診察を受けた事が無いので分かりません。

 小学生の頃は忘れ物も多くて、担任の先生が母に電話して、母が忘れ物を持ってきてくれた事が何度もあります。ある時、母から「お前は親に迷惑かけるのう」と言われたのを覚えています。

 しかし、そんな母も、やっぱり常に私の味方で居てくれました。仕事に悩み、人生に悩み、行き詰まって、約27年勤めた銀行を辞めて、身も心もボロボロになって故郷に戻ったときも、母は喜んで迎えてくれました。

 その後、故郷で再就職しましたが、その就職先を一年足らずでクビになり、どうしようもないダメ息子に成り下がってしまったときも、母は味方で居てくれました。

 年老いた母に力はありませんでしたが、味方で居てくれることが私にとって大きな励みでした。父は、私が35歳の頃亡くなっていましたから、母の存在はありがたかったです。他人が見れば何でもない老婆でしたが、私にとっては偉大でした。

3.瀬川さんの絵

 漫画家の瀬川 環さんが、この川柳からイメージした絵を描いてくれました。
 

最強の応援団は母でした

 瀬川さんの描いてくれた絵は、入学試験の合格発表の場面でしょうか。お母さんが娘に「よく頑張ったね」と声かけて肩を抱いているのでしょう。

 母の胸も娘の胸も、今まで数年間の様々な想いでいっぱいになっている事でしょう。でも、結果が出ました。

 合格に違いないでしょうが、仮に不合格であったとしても、それでも母が味方で居てくれることに違いはありません。

 人生には困難がつきものですが、母が常に味方で居てくれたことを思い出せば、困難を乗り越える勇気も湧いてきますね。私の母は亡くなりましたが、今でも私の味方で、応援してくれていると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?