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子供の頃の夢と現実

 小学生の頃、科学者になりたいと思った。ちょうどその頃、朝永振一郎氏がノーベル物理学賞を受賞されて話題になっていたから、
「僕も科学者になって世の中の役に立ちたい」と思ったのだろう。

 理科が好きで小学校の頃は成績も悪くなかった。しかし、この夢を父に話すと良い顔をしなかった。
「科学者になって何したいんや。大学に行かんとなれんぞ」
 実家は和歌山県の田舎で、子供を大学に通わせられるほど裕福ではなかった。

 それでも、何か事あるごとに「大学に行きたい」と話した。父は、
「どうしても行きたかったら行かせてやる。でも、この家を売らなあかん。それでも行きたいか」と言った。

 私は、両親、兄、妹と五人で暮らしていた。私が大学に行くために自宅を売ってしまったら、家族は暮らしていけない。私は大学に通うのにどれだけお金が掛かるのか知らなくて、科学者になる夢はここで途絶えた。

 私に強い意志と強力な実行力があれば、アルバイトをしながら大学に通えたかもしれない。しかし、小学生の頃の私はひ弱で、アルバイトをしながら一人で都会の大学に通う事など考えられなかった。

 そんな家庭だったが地元の高校には通わせてもらえた。高校卒業後は就職すると親が決めていたから、商業高校に進学し銀行に就職した。実は、銀行に勤めるのも気が進まなかった。しかし、就職しない訳にいかなかったから就職した。

 子供の頃の夢はこれで終わりだが、就職してから作家になりたいと思うようになった。その頃、「日本随筆家協会」という会社が随筆の通信教育を行っていて、ここで十年余り随筆の勉強をした。

 随筆の賞ももらった。しかし、私には発信力が無いのだろう。賞をもらって単行本を出版したが、特別売れもせず初版で絶版になった。まあ、実力もその程度だったのだろう。

 随筆、エッセイ、小説を書いて、公募に応募したことが何度もある。シナリオセンターに通ってシナリオの勉強をして応募したこともある。しかし、いずれも入選しなかった。

 但し、川柳だけは何度も入選して賞状も賞品ももらった。
「第三回全国川柳コンテスト 気持ちいい銭湯部門」では特賞を獲得。
それが、「極楽が 湯気と一緒に 立ち昇る」という川柳だ。
今でも、額に入れて部屋に飾ってある。

 銀行では出世しなかったし、随筆で賞はもらったが実益は無かったし、小説もシナリオも鳴かず飛ばずで、目立たないどこにでも居る高齢者になってしまった。これが現実。今までの人生、何だったんだろうと思う事あり。

 まあ、川柳だけは、まだモノになる可能性が少しあるかなという程度。
現在、自作の川柳で若い世代の皆さんを元気にできないかと考えている。
例えば、

出世などしなくて良いと笹団子

 都会で働く息子がゴールデンウィークで帰省して、母親に「仕事忙しくて、覚える事山ほどあって大変だよ。毎日必死に働いているけど、日曜日は疲れ果ててくたくた」なんて話している場面。

 お母さんが「あんまり無理しなくていいのに。元気で暮らせればいいんだよ。まあ、これでも食べてゆっくりしな」と、笹団子を出してくれる。
ちょっと、ほっこりするかな。

 川柳とイラスト(絵)を組み合わせて、心に届くものが出来ないかと考えている。絵はあまり上手じゃないので漫画家さんと相談している。問題は、これをどうすれば若い人に届けられるか。発信力が無いから良いアイデアがあったら教えて下さい。

 

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