校長トリセツ恥を知れ

赴任先の校長より、校長のトリセツなる奇怪文書を受け取った臨時的任用教員が、その文書に対する不満を述懐するものである。

ところで、全く関係のない話であるが、かつて移動動物園というものを目にしたことがある。多くの動物園では、猛獣などの檻などには「危ないですから手を入れないでください」などと書かれるものや知れず。近年では「動物にストレスになるのでフラッシュを使わないでください」だとか、そうした注意書きがあることであろう。
私の現在の所属が国語科であるがゆえに、いま、ごく自然に「から」「ので」など、理由や原因の接続によって文を成立させたものであるが、近年、この「事由説明を先行させた注意書き」というものはだいぶ増えた。説得力・納得度というバランスによって、なんとか民度を保とうとする、日本という国のせせこましくも地道な努力の賜物であるかのごとくに思う。
しかしながら。
かつてかねて見た、その移動動物園での注意書きは、

「噛む」

ひとことであり、単刀直入の極みであった。

さて、校長のトリセツという文書そのものからは少し離れるが、校長室の入口にある「注意書き」をみて、私は、この「噛む」を思い出したのである。

「話は結論から(※守秘義務により本文そのものではない)」云々と、校長室の入口に貼られていた。

なんともはや、これを見ただけで「なるほど、校長室にはいまだ人間にあらざるケモノがいるようだ」と感じたのである。
玄関先に「猛犬注意」などと書かれているアレだ。
驚くべきことに、校長は「他に要求しているつもり」らしいが、これは単に「愚かしさの表札」である。
実質、ちゃんとした自己紹介すらもしてもらった覚えがないが、それ以上に雄弁な「自己紹介」であると言えよう。

部下となる教員以外、生徒にも来賓にも見える場所にこの内容の注意書きを貼るのは、校長本人が「自分の思い通りにできないと吠えたり噛んだりする人間である」と先に言い訳したものにすぎないし、さらに「型にハマらないものは対処できない人間である」とも露呈している。

この馬鹿馬鹿しいほどに多様性の時代に、一律管理しかできないのであれば、日本ではなくどこかの国の軍隊にでも入っていたらよいと思う。
もしくは、機械部品の生産ラインで検品作業でもしていればそれが天職であろう。

教育現場には、管理は必要だし秩序もまた必要だ。ただし、これは節理が一貫してこその話であって「自分のやり方に従わないなら管理しません」「型どおりにできないなら仕事しません」と一言目から自身の感情の管理ができず秩序もたもてないと言い張っているようなものだ。この見え透いた矛盾にすら気づかない牢獄から吠えたけるケモノに、下々が押し付けられて管理やら秩序やらをやるものではない。

近所の寺の掲示板によく「恥を知らざるは畜生道」と書いてあるが、少なからず、内省観照に疎いことは間違いなかろう。

と、面接の直前に気付いてしまったがゆえに、ぜひともここで面白可笑しいことを子どもたちに届けてみたいものだ、と野心を滾らせてしまったのが、ある種、私の不運ともいえるだろう。

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