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哲学的主題としての「愛」

※ ※ ※ ※ ※

ホアキン・トゥリーナの歌曲集
《歌の形をした詩》の第一曲、
「Dedicatoria (献辞)」。

声楽のチクルス(連作歌曲集)の中でも、
その1曲目がピアノソロというのは
かなり珍しい部類に入ると思う。

歌の伴奏を弾くのと
ソロのピアノ曲を演奏するのとでは
ピアニスト(伴奏者)の側にとっても
ちょっと勝手が異なるらしい。

・・・それゆえに
このチクルスを演奏する時には
ピアニストとの駆け引きが
必要になることも・・・(ワハハ)


全5曲からなるチクルスの
第1曲に位置する曲だが、
その内容は
残り4曲のエッセンスを含む
集大成、あるいは
カンポアモルの作品に対する
オマージュとなっている。

2曲目以降の曲の
メロディーや和声が
巧みに織り込まれていることからも
この曲が、チクルスの
最後に書かれた曲であることが
楽譜から読み取れる。


数あるカンポアモルの作品から
トゥリーナがこの歌曲集で
取り上げた五篇の詩・・・
それは、

「愛の執着」 ───── "Nunca olvida" 
「愛の狂気」 ───── "Las locas por amor"
「愛の盲目」 ───── "Cantares"
「愛ゆえの恐れ」 ───── "Los dos miedos"

そして「愛の本質」という、
「愛」と呼ばれるものの持つ
多面的な顔、多層的な顔を
表してはいないだろうか。

愛とは許すものではなく、
努力して保つものでもなく、
理性で割り切れるものでもない。

多くの人々が
「理想の愛」
を夢見るけれど、
愛とはもっと人間的で、
時として愚かしく、
もっと生々しく、
そして狂おしい・・・

それは
人が神などではなく
人が人であることの
証(あかし)なのかも知れない。

・・さて、皆さんは
いかがお考えだろうか?

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