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「古い雑誌から」 02

先日見つけた
1978年のタウン情報誌だが、
別の月の号で
今度は東京藝大の紹介記事と
当時の上野公園のマップを発見。

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私が東京藝大の敷地内に入ったのは
1980年の受験の時が初めてだった。

当時はまだ旧奏楽堂が学校の敷地内にあり
トランペット実技試験の控室として
旧奏楽堂の客席が使われていた。

すきま風の入る古い木造建築ということで
大きな達磨ストーブが客席通路に置かれ、
皆、そこに集まって暖を取りながら
番号を呼ばれるのを待っていたと記憶している。

5号館事務棟は既に
今ある建物に建て替えられていたが、
この雑誌の記事を見る限り、
2年前の78年の時点ではまだ
古い西洋建築のままだったようだ。

うーむ、この時の音高校舎、
実際にこの目で見ておきたかったな。(残念!)

校内マップを見て面白いのは
音高の学食キャッスルが
この時は旧奏楽堂の裏手にあり、
先月まで営業を続けていた場所には
なんと「すもう部」があったこと。

あの妙に広かったキャッスルの食堂、
あそこに土俵が作られていたのか・・・

78年時点では、旧奏楽堂は解体後
明治村に運ばれることになっていたが、
その後紆余曲折があって
結局隣の上野公園内に移転することに。

この旧奏楽堂の解体移転に伴う
校内の建物調査をしているうち
側溝の蓋に使われた板の裏側から
音楽取調掛の時代に作られた
楽譜(おそらく唱歌)の木版が見つかった話や
この学校出身の先生たちが
解体時に出る瓦礫の中から
旧奏楽堂のスレートを持ち帰って
記念として家に飾った話など、
須賀先生からよく聞かされたものだ。

(スレートを持ち帰り、
 そこに奏楽堂の絵を描いて飾ったのは
 須賀先生本人だったりする。
 ワハハ、大らかな時代だったのだろう)

さて、もう一枚は
当時の上野公園のマップ。

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この上野公園のマップも78年当時だが、
私が藝大に通っていた83~88年の頃も
あまり大差はなかったと思う。

動物園の横にあった小さな子ども遊園地も
83年はギリギリ営業していたように記憶しているが、
もしかしたら81、82年の頃の記憶かも知れない。

いつしか遊園地は閉鎖され
回転木馬やカートの類の遊具は
雨晒しのまま放置されていた。

上野動物園の入り口は
パンダ人気などもあり
連日の客で賑わっていたけれど、
その両脇に広がる
うっそうとした森は
(森というほどの広さではないが)
あまり一人では歩きたくないものだったな。

大噴水のある広場から
現在の旧奏楽堂へ向かう小径は
いまでこそ両側の木々が切り倒され
見晴らしのよいものとなっているけれど、
あの辺りはテント生活者の
格好の居場所だった。

ちょっと奥に入ったところに
木々の管理用の水場があったのだけど、
そこはテント生活者にとっての
「洗濯所」でもあったらしく、
朝の7時頃にこの小径を通ると
上手に木々にロープを渡し
洗濯ものが干してあったりしたのを
何度も見かけたな。

マップを見ると
今の旧奏楽堂のある辺りは
「ちかん多発地帯」だったらしいが、
その雰囲気は
この雑誌の出た5年後、
つまり私が学生の頃も
まだ十分にあったと思う。

もっとも、
テント生活者が悪さをすることはほとんどなく、
彼等とは別に有象無象の人達が
この公園には集まっていたが・・・


今の上野公園は
80年代に比べても随分と
見晴らしが良くなっており、
外灯の数も増え、明るくなっていると思う。

それでもこの公園は、
夜、不用意に
立ち入って良いところではないと
今でも思っている。

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