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ヘブライ語随想

ヘブライ語には
紀元前パレスチナの地で使われていた
「古典ヘブライ語」と
20世紀に作り直された
「現代ヘブライ語」がある。

古典ヘブライ語は
古代のアラム語から生まれ、
その古代のアラム語は
少し前までのフランス語や
第二次大戦後の英語のような
「国際共通語」として扱われ栄えていた。

だが、その後衰退の途を辿り、
今では経典の中で
僅かに語られているだけの言語となっている。

(アラム語自体は現代においても
 少数の地方部族などで細々と
 使われてはいるらしいが、
 今世紀中には絶滅するのではとの事)

※ ※ ※ ※ ※

イディッシュ語というのは
第二次大戦前まで隆盛を誇っていた
中欧・東欧系ユダヤ人の言語で、
「ユダヤ人の言葉」というより
「ユダヤ訛りのドイツ語」と呼んだ方が
より正鵠を射ているそうだ。

中欧から東欧にかけての
広範囲な地域に住んでいたユダヤ人は
20世紀初めの頃までは全ユダヤ人の中でも
かなりのパーセンテージを占めており
「ユダヤ人の共通言語をイディッシュ語に定めよう」
という運動も行われていたらしい。

しかし、
ヒトラーのユダヤ人絶滅政策によって
イディッシュ語の公用語運動もろとも
中欧・東欧圏のユダヤ人は壊滅。
その結果、
現代ヘブライ語がイスラエルの公用語となり、
今日に至っている。

※ ※ ※ ※ ※

ラヴェルの「2つのヘブライの歌」、
この曲の解説として、よく
「『ヘブライの歌』という題名だが、
 ヘブライ語で書かれてはいない」
といった表現が使われるが、
正確な表現ではない。

なにしろ、
この曲が作曲された1914年の段階では、
まだ現代ヘブライ語の
体系的な辞書すら完成してはおらず、
文字(文語?)としてのヘブライ語こそ存在すれど
会話語・日常語としてのヘブライ語は
ユダヤ人社会においてすら一般的ではなかったのだ。

ラヴェルにとってユダヤ人(=ヘブライ人)とは、
アラム語の経典を用いて祈りを捧げ、
ユダヤ人の仲間内での会話では
イディッシュ語を用いる隣人として
認識していたのかも知れないな。

※ ※ ※ ※ ※


「ラヴェルは、実はユダヤ人だった」
いう話は、
結構昔から言われてきたそうだが、
これについての確たる根拠はないとの事。

(母親がバスク系ユダヤ人だったらしいというのが
 根拠と言えば言えなくもないが、これとて定かではない)

カディッシュなぞ書いて、
それが結構いい曲なので
ユダヤの人達も良く歌っているし、
アウシュビッツでの追悼イベントでも
この曲が歌われている動画が
世界中に配信されていたりするので
「いかにも」と思いがちだけど、
色々と調べていくと
「ううむ、特にユダヤ人という訳でも、
 ユダヤに特別な思い入れを持っている訳でも
 なさそうだなあ、ラヴェルという人物は」
と考察してしまう自分がいる。

むしろラヴェルの興味は
ユダヤのみに向けられたものではなく、
ギリシャにスペイン、
イギリスにアメリカも含めた幅広い範囲での
「民族的なもの」にあったのではないかと思う。

その意味では、
バーンスタインの交響曲3番、
終楽章でのカディッシュとは
明らかに扱いが違うよなあ・・・

無論、
ラヴェルがユダヤ人であろうがなかろうが、
彼の作曲した「カディッシュ」という曲の
作品としての素晴らしさには変わりがない。

ただ以上の如く
愚考する私がいるだけである。

(写真は映画「シンドラーのリスト」冒頭シーンより)

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