見出し画像

「完璧な演奏」考

「完璧な演奏」「完全無欠な演奏」
などというものは、
この世には存在しない。

それだけは自信を持って断言できる。

ただし、
「完璧な演奏」「完全無欠な演奏」
に聴こえてしまうものは
結構あちこちに存在する。

その理由は簡単。

その演奏の傷や不完全さを
「聞き分ける耳」を
その者が持ち合わせていないからだ。

勿論、私とて例外ではない。


どれほどの演奏の名手でも
自分の演奏を「完璧だ」と
思っている者はいない。

いや、むしろ
演奏のレベルが上がれば上がるほど、
それを推進する演奏者としての感性が
研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほど、
完璧に至る事のできない自分に
向き合う事になる。

それはまるで
決して交わる事のできない
双曲線のようなもの。

どこまでも近づいていくだけで
決してそこに触れることはできない。

だからこそ、
極みを目指す演奏家たちは
刹那の時間
刹那の音に拘ろうとする。

少しでも近づくために。


あるものは
それを山にたとえるだろう。

あるものは
それを蜃気楼にたとえるだろう。

またあるものは
それを尊き挑戦と称え

またあるものは
それを空しい徒労と諫め


一歩近づく事の喜悦と
終わりの見えない事の不安と
有限の時間と肉体をもって
この世に生を受けた事への
恐怖・絶望・焦燥・諦観・・・

それらの感情とせめぎ合いながら
それでも「完璧な演奏」を求め
歩むことを止めない者だけに
見ることのできる世界というのが
あるのではないかと私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?