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小説『天使さまと呼ばないで』 第16話

ナミとの絶縁以降、ミカはできるだけ暇な時間を作らないように、カウンセリングとパートの予定でスケジュール帳を埋めていた。

暇ができるとどうしてもナミとの楽しい思い出が頭に蘇って、虚しさや後悔や罪悪感で胸がいっぱいになってしまいそうだったからだ。

そのおかげか貯金は順調に増えていき、以前リボ払いで購入したCHAMELのワンピースの残金も一括で支払うことができた。

今日は久しぶりに清々しい気持ちで過ごすことができそうだ。

(リボ払いする時はドキドキしたけど、こうやって賢く使えば大丈夫なものよね!

えーっと、今日の予約は、ユウコさんのスペシャルカウンセリングね)


ユウコは、不妊で悩んでいたけれども、ミカのカウンセリングをきっかけに夫との仲が改善し、妊活に成功した女性だ。

最近ずっとお茶会にも来ていなかったが、それは身重な身体を大事にしてのことだろう。もうすぐ安定期に入るはずだし、きっと今は喜びいっぱいの様子に違いないだろうとミカは思っていた。


しかしー


待ち合わせのカフェに現れたユウコは、別人かと思うほど顔がやつれ、元気がなかった。


ふと見ると、カバンのどこにもマタニティマークがついていない。


とても、嫌な予感がした。


「ミカさん・・・・」

ミカの顔を見た途端、ユウコの目からは涙が溢れた。泣きじゃくってマトモに喋ることもできない。

ミカは席を立ち、ユウコの隣に座った。そしてずっとユウコの背中をさすっていた。

20分ほど経っただろうか、ようやく落ち着いてきたユウコが口を開いた。

「赤ちゃんが・・・私・・・あの・・・」

涙と嗚咽が邪魔をして、うまく喋ることができない。ミカはただ、うんうんと優しく頷いた。


ユウコは、流産したのだ。


ミカは頭の中が真っ白になった。今までブログでも散々『自分のおかげで妊活が成功した』というエピソードを紹介していたというのに、これでは虚偽の広告になってしまう。

しかしそんなことよりも、今はユウコの心のケアだ。

もし自分がここで、ユウコを傷つけるようなことを言ってしまったら、ユウコは自分のことを「詐欺師」だとか「偽スピリチュアリスト」だとか吹聴するかもしれない。それだけは避けたい。


いつもだったら、クライアントが泣いている時は「悲しかったですね」「辛かったですね」と声をかけていたミカだが、今日はそれができなかった。

悲しいということ、辛いということを認めさせてしまったら、『お前の力が足りないせいで悲しむ羽目になった!』『お前がインチキなせいで辛い思いをした!』と責められてしまうような気がしたのだ。そして、『お前のカウンセリングは役に立たない』『お前には天使の力などない』という烙印を押されてしまう気がした。それが何よりも怖かった。


ミカは無言で、そっとユウコの手を握った。


(神様、いや、天使さま・・・どうしてこんなことするの・・・!ユウコさんにこんな酷いこと、しないでよ・・・!)

心の中でそうつぶやいた。


ミカは迷ったすえ、こう声をかけた。

「悲しむことは、無いんですよ」

だが心の奥底で、本当はこう叫びたかった。

(お願いだから、悲しまないで、早く元気になって!)

ミカは続けた。

「ユウコさん、一見酷なことのように思えるかもしれませんが、全ては"必然"で起きているのです」

(だから私の力ではどうしようもできなかったの。わかる?私にはその責任はないからね)

「ユウコさんにとって辛いことであっても、長い目で見ると必ずそれは"喜び"に繋がっているのです」

(だから自分のことを不幸と思わないでね、そう思ってしまうと、私に"人を幸福にする力"が無かったことになってしまうから、お願いよ!)

「ユウコさんのお子さんは、きっと何らかの事情があって、今は生まれない方が良いと判断したのです。だから、あえて生まれてこなかったのです」

(ほら、そう思えば、"悲しみ"に暮れなくて済むでしょう?ポジティブな気持ちになれるでしょう?)

ユウコの肩の力が抜けたのが見えた。

「すべては・・・必然・・・」

「そうです。ユウコさんは素晴らしい方ですから、また感謝と愛を大切にして生きていれば、きっと天国に召された赤ちゃんは戻ってくるはずです。大丈夫、きっと大丈夫です」

ミカは、ユウコのために用意していた刺繍入りのハンカチを両手に掲げ、天を仰いで祈った。

(ユウコさんの元に、たくさんの幸せが降り注ぎますように・・・

このハンカチを持つことで、ユウコさんが幸せになりますように・・・)

そう祈りながら、誰かのためにこんなに心から天に祈りを捧げることのできる自分は、なんて心が清らかなのだろうと思った。たとえ自分に天使の力など無くとも、このような深い祈りを捧げられるだけで、自分は天使と呼ばれるに相応しい人間に違いない。だから自分は嘘などついていないし、きっとこの祈りも天に届くはずだ。

ユウコの赤ちゃんは本当に、今は生まれてこない方がいいと思ったから天国に行ったのだ。

こうして祈りを込めたから、あとはユウコが感謝と愛を大切にさえしていれば、また子供はやってくるはずだ。

たとえなかなか妊娠できなかったとしても、それはユウコの感謝や愛を大切にする姿勢が足りないせいだから、自分が気に病む必要はない。

自分は何も、間違ってなどいないのだ。


「・・・ユウコさん、今日は特別に、このハンカチに天使さまへの祈りをたくさん込めました。だから、大丈夫です」


半ば自分に言い聞かせるような形で、ミカはそう伝えた。しかし、『子供ができる』だとか『幸せになる』だとかはあえて明言しなかった。


ユウコにハンカチを渡すと、ユウコは両手でそれを大事そうに抱え、また涙を流した。

「ミカさん・・・ありがとうございます。ミカさんにこうして力をもらえたから、きっとまた、子供を授かれる気がします。それに、私にはこのハンカチがありますから、きっと大丈夫ですね!

ミカさんの力は、ホンモノですから!」


ミカの両肩がぐっと重くなった。そうか、この通常より高価なスペシャルカウンセリングをユウコが申し込んだのは、また妊活が成功することを祈ってのことだったのだ。


時計を見ると、90分が過ぎていた。カウンセリング時間の1時間を大幅にオーバーしていたが、追加料金は取らないことにした。取る気になれなかったのだ。これ以上ユウコから何かを奪ったら、取り返しがつかないことになる気がした。


ユウコは申し訳なさそうに言った。

「こんなに時間をオーバーしたのに、追加料金を取らないなんて・・・ミカさんは本当に優しい方ですね。本当に、天使さまです」

ミカの心はチクチクと痛んだ。本当に優しい人間であれば、相談するだけで万単位の料金など取らないだろう。


(神様・・・いや天使様、どうかユウコさんの元に、赤ちゃんを授けてください!!!)

ミカは帰り道、何度もそう願った。

(ユウコさんのためなら、私、どんなことでもしますから・・・!)


しかしそんな誓いを立てておきながら、ミカは自分のブログで紹介した『不妊で悩んでいたけど子供ができた』というユウコのエピソードを訂正することはなかったのであった。



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第17話につづく



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