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小説『天使さまと呼ばないで』 第50話


ユウコの話を聞いて以来、ミカはコウタのことをしきりに思い出すようになっていた。


(私も結婚してた時、コウタとちゃんと向き合えて無かったかも・・・)


ミカはずっと、結婚したのだから早く子供を作らなければいけないと思い込んでいた。そうしないと、いつか自分は惨めに捨てられるのではないかという不安があった。或いは、誰かから"不幸"の烙印を押されるのではないかという恐怖があった。

でもそうした未来や他人の目ばかり囚われて、"今"のコウタとの結婚生活を"自分"がどう楽しんで過ごすか、すっかり忘れていたことにようやく気がついたのだ。



コウタは優しかったし、ミカのことを大切にしてくれていた。

センスが良くなくともミカを喜ばせようとネックレスをプレゼントしてくれたのも、皿洗いが楽になるように食洗機を買おうかと提案してくれたのも、離婚の時に200万円の借金を帳消しにしてくれた上で100万円もくれたのも、ミカへの思いやりがあったからだ。

それに、ミカのことを本当に大切に思うからこそ、リボ払いを立て替えてくれたし、エンジェルカウンセラーの仕事をすぐ辞めるよう助言してくれたのだ。


(あんなに大切にしてくれたのに、どうして私、コウタの欠点ばかり見て責めていたんだろう・・・)


コウタは、ショウのような見せかけの優しさではない、本当の優しさを持っていた。

ぎこちなくとも自分のことを精一杯愛してくれていた。


(私、もう一度コウタとやり直したい・・・!)

ミカは心からそう思った。

(でも、今の状態では、まだダメだ。ちゃんと反省したところを見せないと。

・・・まずは、真っ当な仕事をしよう!)


コウタに変わった自分を見てもらうためと思うと、やる気がみなぎってきた。

ミカはスマホで、すぐに働ける日払いの仕事を探すことにした。


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ミカが最初に興味を持ったのは、事務のパートだった。

接客業は前のスーパーでのパートのストレスを思い出すとしたくなかったし、清掃の仕事はハナから却下だ。自分が『掃除のおばさん』になるなど想像するだけでおぞましい。


一応結婚前は、中小企業でOLをやっていた。仕事中は眠くなることが多かったし、退屈であまり好きでは無かったが、やる気のなさは若さと愛嬌で誤魔化していた。

ミカはひとまず、二社募集のあった事務のパートに応募してみた。


(きっと大丈夫。すぐ決まるはず・・・!)


そう自分に言い聞かせて面接に挑んだミカだったが、希望に反して面接はどちらも落とされてしまった。

しかもこの応募と結果待ちで2週間も無駄にしてしまった。所持金も僅かになってきているというのに。


焦ったミカは、日払いで家から通勤しやすいという条件を満たすバイトは業種を問わず片っ端から応募した。全部で15社ほどだろうか。

しかし、接客業は軒並み落とされた。


とある飲食店では、店長のオジサンに半笑いで言われた。

「君、名前でネットを検索させてもらったけど、"エンジェルカウンセラー"なんてやってたんだって?ウチはそういう真っ当じゃない商売してた人はお断りだから。

ホラ、今炎上系ウーチューバーとかが突撃したりすることあるじゃない?あんなのに目をつけられたらたまったもんじゃないからねぇ」


悔しさと惨めさで涙が出そうになったが、適当に愛想笑いでごまかす。

ミカの頭の中には、ナミに以前言われたことが響いていた。


あのさ、ミカの客が何人いるか知らないけどさ。
仮に100人いたとしてもね、それって日本の全人口のうちの0.001%以下なわけ。それでね、その0.001%以下の人はミカのことを"天使"と言って崇めてくれるかもしんないけど、あとの99.999%のマトモな人にはミカはどんなふうに見えると思う?
胡散臭い女、っていうか詐欺師にしか見えないよ



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結局、すぐに採用の連絡が来たのは一社だけだった。

それも、ミカが最もやりたくないと思っていた『掃除のおばさん』の仕事・・・つまり清掃業だ。

しかし、日に日に困窮していく中で選り好みはできない。ミカは観念して『掃除のおばさん』になることにした。


(まあいいや、とりあえずの辛抱だわ。生活が立て直せたらすぐに辞めればいいもの)



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清掃の仕事は、週5ですることとなった。

仕事内容はオフィスビルの清掃で、月・水・金曜日はAビル、火・木曜日はBビルを担当する。

そして、Aビルではユミコさん、Bビルではヒロコさんという先輩に業務を教えてもらいつつ働くこととなった。


初めての出勤は月曜日。ミカは制服の水色のシャツとズボンを着て三角巾をかぶる。

ユミコさんはカールした黒髪の(恐らく染めているのだろうが)、ふくよかでニコニコとした、60代前半の女性だった。


「あらぁ〜こんな若い子が入ってきたのねぇ!」

ミカを見るなり、ユミコさんはそう言った。

(私もう、アラフォーなのに)

そう思いつつ、若いと言われるのは満更でもない。

「よろしくお願いします」

ユミコさんは優しく掃除の仕方を教えてくれた。

「ここはモップを使って掃除をしてね。もし汚れが取れづらかったらこの洗剤を使って」

「はい」

ミカが見よう見まねで拭くと、ユミコさんはニコニコと笑った。

「そうそうその調子〜!はいこれでオッケー!」

(なぁんだ、楽勝じゃん)


清掃の仕事は、思ったよりも楽しかった。ここのところずっと身体を動かしてなかったので肉体的には大変だったが、汚れを落とすことに集中している間は無心になれる。

借金の恐怖やネット炎上のトラウマ、ショウからの暴言やコウタと別れた後悔といった、ドロドロした感情を呼び起こす記憶を忘れられるのが嬉しかった。



日払いなので、帰り際に上司から給与を受け取った。

最初の3ヶ月は研修中なので950円、それ以降は1000円になる予定だ。

休憩時間を除くと7時間働いたので、受け取った額は6650円。

給与の封筒を受け取った時はウキウキしたのに、封を開けて中のお金を見ると途端に現実に戻った。


(カウンセリングならこれよりずっと大きい金額をたったの1時間で稼げるのにな・・・)


しかしコウタにまだカウンセリングをしてることがバレたら、復縁は到底無理になるだろう。

とめどなく溢れそうな不平不満をグッと堪える。


(・・・まあいいわ、ユミコさんはすごく良い人だったし、これなら頑張れそう)



しかし、次の日の仕事は今日ほど甘くは無かったのだった。


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第51話につづく





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