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かきくらべライブ版用に描いた掌編小説 9編目




 縁切り

「私が住んでいた町はね、駆け込み町だったの。駆け込み寺なら聞いたことがあるって?そう、お寺の敷地に留まらず、町一帯が駆け込みゾーンだったのよ。縁切り町なんて呼ばれていたわ。家族や交際相手からのDVに苛まれた人、執拗な付き纏いが棘となって心身を蝕まれた人、そんな人達が男女を問わず駆け込んできてたわね。駆け込んで町に入った途端に、見えない関止めが出来るの。追って来た人は、追って来たという目的を抱いたままでは町に入れない。入ろうとすると、都合の良いタイミングでトラブルに見舞われる。車にはねられるとか、体の不調を訴えて倒れ込むとかして、救急車で隣町の病院に搬送されたりね。駆け込んで来た人が町に入ると、まず町内の公民館に行くの。そこで鋏を渡される。渡された鋏で、縁の糸を切るのよ。チョッキン、なんてね。縁の糸なんて見えるのか、ですって?ふふ、鋏を手にすると見えるのよ、これが。自分の身体のあちこちに、様々な色の糸が繋がっているのがね。不思議な事に、これが誰との縁の糸かって、直感で分かるの。糸には色が付いてる他は、何の情報も見えないのにね。ピンと来るのよ。それがこの鋏」
 へめえれゑ店内中央に鎮座する、木製テーブル。いつか私が、ピンホールカメラを落とした牡蠣鍋が置かれていたテーブルだ。そのテーブルの真ん中には、牡蠣鍋に代わって、一本の鋏が屹立していた。ぶっ刺さっていると言って良い。
「その鋏が、何でここにあるんです?」
 私は、墓標の如くテーブルに刺さった鋏を眺めながら、声を上げた。どう見ても穏やかじゃない。何で刺してんの?置けばいいじゃない。
 大体、縁切りの町だかなんだか知らないけど、そんなところにある謂わくに塗れた物を、町外に持ち出してきて良いの?てか誰が持ってきたのよ。へめえれゑにあるということは、リョオコさんが持ち帰ってきたと考えるのが自然だろう。あんたがここに持ち帰ってくる品々には、ろくな思い出がないんだから。私は、この店内でのいくつかの体験を、頭の中で振り返っていた。全裸になって土下座したこともあったっけ。
「研ぎ屋さんがね、置いていったのよ」
「研ぎ屋さん?」
「そう、研ぎ屋さん。私が住んでいた、さっきお話した町にある、研ぎ屋さん。ちょっと必要になったから、持ってきてもらったのよ。ただ持ってきてもらうのもなんだから、何年かぶりに研いでもらって、それをここに、届けに来てもらったってわけ」
「はあ。でも縁切りの鋏は、町の公共物じゃないんですか?」
「そうよ。町の公共物。でもね、私が何年かに一度、鋏を手に取る必要があるのよ。私が鋏を握らない期間が開きすぎると、縁切りの効能が薄れるの。私はあの町から離れた所に、今は住んでいる。だから、私が町に戻らない限りは、こうして定期的に、町の誰かが、鋏を持ってくるのよ」
「神官とか、巫女みたいですね・・・」
「そうねえ。神官でも巫女でもない、単なる住民なんだけれどね」
「家系とか・・・」
「でもなく、よ。両親も祖父母も、そんな事には何の関係もない、ただの住民だったわ。私にしたって、何か特別な扱いを受けたわけじゃないもの」
「じゃ、どういう・・・」
「あら」
 私の問いかけが、〝経緯で?〟に繋がる瞬間、リョオコさんが声を上げた。来客のようだ。
「リョオコちゃん、どうかな?」
「ええ。鋏、握っといたわよ。しばらくはこれでいけるわ。おじさん、もうお帰り?」
「ん。研ぎ機の消耗品も、買い付けしたしな」
 件の、リョオコさんの町の研ぎ屋さんのようだ。白のワイシャツに、グレーのスラックス。年齢は、50代半ばから60代はじめあたりか。ごくごく普通の、初老男性だ。
「ところで、何で鋏がこんな所に刺さってるんだ?」
 おじさん、ナイス質問!私も知りたい。
「あら、おじさん。知りたいの?」
 リョオコさんは、小憎らしい微笑みをおじさんに向ける。
「・・・。いや別に」
 おいぃ!おじさん!そこで引くなよぉ!
 私は、無責任にもおじさんを心の中で非難した。真実を追い求める志というものを、あんたは持たないの?あんたには、疑問を解き明かす姿勢を貫き通そうという矜持はないわけ?そんな中途半端な生き方してるから、しがない研ぎ屋のまんま、人の世に埋もれてる事に気付けないんじゃないの?かく言う私も、おじさんの様子を見て、リョオコさんに直接尋ねる気が萎えてしまった。〝触らぬ神に祟りなし〟という慣用句が、頭の中に浮かび上がる。
「・・・というわけで」
 何が〝というわけ〟なの?おじさん。ここで完全に引き下がらないでよ!おじさんに何かがあっても、私はおじさんを見殺しにして、逃亡するだろうけど。
「鋏は抜いても良いのかな?」
「ええ、良いわ。そのまま持ち帰ってもらって結構よ」
 それじゃ、とおじさんはテーブルから鋏を抜き、桐箱に収納した後、上品な布でそれを包み込む。じゃあな、たまにはリョオコちゃんも町に顔を出しておくれ、みんな喜ぶぞ、と言い残しながら、へめえれゑを出て行った。

「あ。あなたにも使ってもらえば良かったわね、鋏。おじさんに返す前に」
「そう・・・ですか・・・」
「切りたい糸があるならね。もしそうなら、何かの機会に、段取りつけてあげるわよ」
 ふふふ、とリョオコさんは、優しい口調で続ける。
「あなたが縁切りしたいのは、どんな人なのかしら」
 私は、リョオコさんの妖艶な笑顔を見つめた。




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