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逃げたあいつが戻ってきた

先週は娘のオーケストライヤイヤ期の話をした。

練習が嫌で自転車で逃走した娘だが、翌日から渋々練習を開始した。バイオリンを弾く時間10分、動画を見る時間たくさん。鼻歌で歌うのずっと。みたいな調子で数日過ごしたが、レッスンの数日前に何かのスイッチが入ったように空き時間があればずっと弾くモードに突入した。

その何かのスイッチを入れたのは何か。それは「褒め」である。とにかく褒めた。もちろん嘘はない。本当に良くなったことだけを言った。「音がよくなった」「昨日間違えてばかりだったところがノーミスになった」とか「立ち姿がよくなった」とか。音色、正確さ、見た目、態度、こんなこと?というような小さいことも拾っては褒めた。そして指摘は1日一つだけ。

調子に乗ってしまうかしらと思うぐらい褒めた。しっかり練習をするようになったのはとても嬉しかったが、今度は夜中までやるので、勉強は大丈夫なのかとやきもきする。万事に置いて「ほどほど」がないのだ。

さてレッスン日。今回は時間より前に到着し、先生に「私、今週はめちゃ練習してきたけん!」と言ってアピール。先生も脱走事件を知っているので「それは楽しみだわ」と乗せる。いざレッスンになると「あれ、すごく練習してきたんじゃない?音が全然違う」と管楽器のメンバーから言われた。別のパートから褒められるとこれまた嬉しい。娘はそんな声が聞こえてくるとますますやる気が出る。そんなわけで今はオーケストラスキスキ期に再突入、単純なのである。毎日日付が変わっても辞めないので「早く寝なさーい!」というのが日課になってしまった。

人間はやっぱり褒められてナンボである。どんなに気難しい人も疑り深い人でも、娘のように反抗期真っ只中の「でも、だって」の高校生も褒められ続ければ本気になる。褒めは一度きりの単発ではいけないし、嘘はいけない。そして、適した人に褒められなくてはいけないと思う。

若い時、夫の仕事のことを私が褒めたことがあった。すると、彼は嬉しいけれど、よく分かってない人に褒められてもあまり響かない、というようなことを言ったと思う。その時、私はとても悔しかったのを覚えている。訳もわからず褒める人だと思われて恥ずかしかったのだ。

だから私は私の分かることだけしか褒めない。お世辞は言わない。娘の演奏のことも然り。それ以上の部分は先生や夫が褒めるから。自称「誠実な褒め」に徹しているのである。夫の時のような恥ずかしい気持ちには2度となりたくない。

話は逸れるが、誠実な褒めといえば私の友人であるよしこちゃんはすごい。

私の母の中学高校の先輩である。先日、私の娘が学校帰りに寄ったのだが、その時の褒めは圧巻だった。自転車で庭に入った途端、外に出て「わー自転車似合う。大人っぽいわあ、可愛いわあ、早くお入り」家に入ったら「ヘルメット脱いだら一段と可愛い、美人になって、お肌もすべすべ、もう、ほんとに抱きしめたいぐらい可愛い」といったようなことを大興奮の様子で途切れることなく褒める。お菓子を食べている様子を見たら「まあ大きくなってもほんとに可愛い。美味しそうに食べて可愛い。お喋りしても可愛い」というようなことを絶賛し続ける。帰るまで可愛いの連射である。

家へ帰った娘は「もう、よしこちゃんいうたら何回可愛い言うたかわからんわ。可愛い可愛いって。もう、ほんと嬉しいわ」と最近では1番の機嫌の良さだった。家族以外の人があれだけ可愛いと言ってくれると自信がつくらしい。やはり適した人が褒めるというのは効果大なのだ。

そんなこんなで家族や先生、オケのメンバーやよしこちゃんの褒めの効果でバイオリンサイクルがうまく回り始めたせいか、自転車逃走劇辺りからはじまった夫と娘の険悪ムードも解消されている気がする。二人は数日に渡り互いに口を聞かなかったりしたのだけれど、娘がバイオリンを弾いていると隣の部屋で練習していた夫がいつの間にかチェロで伴奏したりしている。話も自然にしているし、車の中でもトゲトゲしていないので私は胃薬を飲まなくてよくなった。

クリスマスまでに仲直りしてくれてよかった。ご両人は仲直りしたわけじゃないというけれどおかげで家内安全。息子と私は心底ほっとしている。

クリスマスは家族の気持ちが揃う日。自転車で戻ってきた娘はバイオリンを背負ったサンタクロースに見えないこともない。

では、また。ごきげんよう。Happy Winter!