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年賀状迷想

近藤です。

今年もどうぞよろしくお願いします。

学生時代、大阪にある石切劔箭(いしきりつるぎや)神社近くの土産物屋でアルバイトしておりました。かつては今の時期、だるまさんや神棚の道具一式を買いにくる人で賑わい、「お姉ちゃん、身代わりだるま13こ頂戴」などと言われると「計算のややこしい数いわんといて欲しいわ」と返したりしておりました。(ほな、10こと3こ頂戴、なんて言うところが大阪っぽいなあと思っておりましたが)

その、お土産物屋さんの主人は大学の剣道部の先生で、地方から来た学生にご飯をたくさん食べさせよう、お小遣いをやろう、という思いで自分の店の売り子に雇ってくれていたのでした。ですから、代々地方出身の剣道部員は先生のところでアルバイトするのが伝統になっていたのです。

卒業してもずっと年賀状のやり取りはあったのですが、そのうちご自身で字を書くことが難しくなりご家族の字に変わりました。そして、しばらくして喪中葉書が届き、年賀状のやり取りがなくなってしまったのでした。


今年は年賀状を書く人が増えたとか。しかし、我が家の場合はいただく数が減りました。昨年の年賀状に「今年で最後にします」という方が多かったこともありますし、SNSで「今年から辞めます」とご連絡をいただくことも少なくありませんでした。

私の親も含め、知り合いの先輩方にもお葬式も年賀状も遠慮させていただいて自分自身の身の回りを整理していこうとする方が増えている気がします。断捨離が当たり前になり、物だけではなく人間関係も整理して周りに迷惑をかけないようにしないとね、という声もよく聞きます。

そんな中、迷うのは「先方は年賀状をやめますと言っているけれどこちらも送るのをやめた方がいいのかどうか」です。

出さないのだからもらっても困る、そう思っているかたもいるだろうし、出してもいないのにいただくと心苦しい、と思う方もいるだろうし。

相手はやめると言っても「要りません」って言われてないのだからやっぱり出したほうがいいのかしら、いやいやそれって自己満足の押し付けかしら、などと色々考えた末に「年賀状やめました」宣言をした人に出すのは遠慮させていただくことにしたのでした。


年に一度のやり取りしかしないけれど、繋がっていたい。頻繁に合わないけれど、年賀状でお互いの成長や近況を知ってホッとする。そんなお付き合いもあります。

学生時代の恩師や海外派遣されていた時代に助け合った仲間などがそんなおつきあいに当たるでしょうか。SNSで繋がってもいいのだけれど、年賀状に私の一年を一言で書くとき、ギュッと濃縮した思いが出てくるような気がしてこれもいいなあと思っています。

年賀状に変わる距離感のツールが見つからないので来年も「年賀状やめます」宣言をしていない方々には相変わらず出そうかなと思っていますが、これはまた夫婦で相談しなくては。子どもたちの成長や私たちの仕事、立場が変化していく中で年賀状のあり方を考え直す必要を感じていることは確かです。

今年もファミーリエ 共々どうぞよろしくお願いいたします。

では、また。