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食器洗い

自分の子どもが外で羽目をはずす様子を見るのが割と苦手である。

箸を持つ手が崩れていたり、いつもより乱暴な言葉遣いをしたりしているとどうしても小言を言いたくなる。だが、人前でいちいち注意するのも気持ちの良いものではないとわかっているから腹の中にくすぶったまま家へ帰る。なんとも気持ちが治らず、台所で乱暴に食器を洗ったりして、最終的には自分にげんなりするのだ。

子どもの頃、出掛けた帰りに母から怒られることが多かった。おもしろいと思って言ったことが母からすれば余計なことだったり、場の雰囲気に舞い上がってしまい行儀が悪くなることもよくあった。子どもだから仕方がないと周りが思っても母からすると絶対にやって欲しくないことの数々だったのだろう。

母は父が亡くなってから一人で私たちを育てた。「片親の子は」と言われることも珍しくない時代だったし、シングルマザーなんてかっこいい言葉もなかった。母は「片親だから」という理由で子どもたちが嫌な思いをしないようにといつも頑張っていた。なにかにつけ、両親がいないから仕方がない、と言われることを嫌っていたのでしつけにはとても厳しかった。今の時代だったら大問題だが、弟と私は外で羽目を外しすぎて遠くの川縁に捨てに行かれたことがあった。

大声で泣いて、車の中で「わーん、もうしませーん」と詫びるのだが母は許してくれない。弟は呑気なもので必死に詫びる私に比べたら本気度が足りない謝り方をする。ま、どうせ本気で捨てたりしないだろ、という感じである。その時、私だけが車の外に出てしまい、母の車が走り去った。その時に車を追いかけて走った足元には緑の草が茂っていたように思うのだけれど弟も母も何にも覚えていないらしい。この件については私の記憶違いということになっているが私は母に一度捨てられたのだ、と思っている。


外で自分の子どもが羽目を外すのを見るのが嫌な理由は結局のところ「外ではあんなに偉そうなことを言っても自分の家のことはちゃんとしてないじゃないの」と人に言われるのが嫌なのだ。子どもがどうこうというより自分の評価が下がることを気にしている。母と違って私は子どもたちに大したこともしていないくせに、だ。

それともう一つ嫌なのは子どもたちが外で舞い上がって余計なことを言ったり、普段しないようなことをしてしまうのが自分とそっくりなこと。夫はそんなことはないのに、ここだけは子どもたちにしっかり受け継がれてしまっている。舞い上がった時の行動というのはこんなに強い遺伝子情報だったのか。

子どものことも自分のこともこの部分については諦めたいが諦めきれない。自分もそうなのだからと思ってみてもやっぱり子どもたちには一言言いたくなる。このモヤモヤをどうするか。仕方がないのでしばらくは乱暴に食器を洗うことで解消するしかないのかもしれない。欠けた茶碗が増え続けること間違いなしだが、友人から教えてもらった金継ぎ教室に入ることを考えてみよう。

では、また。ごきげんよう。