あなたにとって'満足'とはなんですか
今回は私にとっての「満足」を言語化していきたい。
前回の記事では、'憧れ'について考えた。自分が'憧れ'の人に近づくためには、「行動力・満足した結果を出す」というギャップを埋めていく必要があるとわかった。ここにおける「'満足'した結果」とは人によって捉え方が異なるということから、今回の記事へと繋がる。
◇これまでの人生で、「満足した結果」とは?
まずは、これまでの人生で直観的に「満足した結果」を残せたと思うものを、具体的に振り返りたい。
中学受験第一志望合格
私は関西の中でそこそこの難関校に進学した。私にとって中学受験勉強は、(大学生も終わりだが恥ずかしながら)これまでの人生で最も頑張ったことだ。友達と遊ぶことやTVを見ることを控え、勉強に打ちこんだ。塾内でもトップ層の成績を収め、模試では常にA判定それ以外の文字を見たことはなかった。その後無事第一志望合格、周りからもすごいと呼ばれるような学校へ進学した。
リレーメンバーになる
正直私は運動が苦手だ。野球やサッカーでは飛んでくるボールに今だに恐怖感があるし、テニスやバドミントンといったラケット競技はスクールに通うこともあったのにラケットのスイートスポットに当てることができない。そんな中で唯一得意だったことが走ること。運動部に所属していなくても、運動部の子たちの多くに足の速さで負けることはなかった。
そんな私を見たクラスの友人は、高校1年生の秋私を陸上部に誘った。私は一度くらい真剣に運動に打ち込もうと入部することにした。他部の友達より足が速かったといえど、流石に陸上部では歯が立たなかった。しかし、練習を重ね入部から1年すれば陸上部では花形のリレーメンバーとなる機会も掴むことができるようになった。高校が進学校であるため他の高校と比べればレベルは劣るものの、それでもリレーメンバーの4人に選ばれたことは運動苦手な私にとって十分満足できる結果だった。
パッと思い出した中で、自信を持って「満足のいく結果」を残せたのはこの2つくらいであろうか。次に、「『それなりに』満足のいく結果」を残せたものを振り返ろう。
予備校で交換日記を始める
私は大学時代予備校Sでアルバイトをしていた。一つのクラスを担当し、担当するクラスの授業運営補助や生徒の学習相談に乗っていた。私は利他的なので、「高校生のために自分にできることはないか」をモットーに仕事に取り組んでいた。そんな中で始めたのが生徒との交換日記だ。これは、私と生徒とのキョリを縮めるためにオリジナルで取り組んだものだ。というのも、授業は週1回のみなので生徒40名全員と頻繁にコミュニケーションを取るのは至難の業だ。しかし、受験を控える生徒は日々悩みが変わる・増える。そんな生徒の今を知り、徹底的に寄り添うことを目指したのがこの取り組みだ。これを始めることで、授業後私と話すために何名かの列ができるほど、肌感ではあるが生徒がより親しみを持って関わってくるようになった。
◇「どんな人も簡単に納得できる結果」を残したい
ここまで3つの「満足する結果」を振り返った。今回着目したいのは、「中学受験合格・リレーメンバーになる」と「予備校で交換日記を始める」の間にある満足度の差だ。この差を私は「結果が定量的であるかどうか」だと考える。
だいぶ遠回しな言い方になるが、「中学受験第一志望合格」は全中学受験者のトップ**位くらいとか、「リレーメンバーになる」は陸上部約30名の上位4人であるとか、数字で表せるからこそ誰もがすごいと認めやすい結果だ。一方で、「予備校で交換日記を始める」は生徒から信頼を集めているのは肌感なだけで、同じアルバイト仲間の中で私のこの結果はこんなにすごいんだ、とは表せない。先ほどの文章を読んだそこのあなたも、どれくらい凄いのか/そもそも凄いことなのかピンとこない人も多いはず。だからこそ、誰しもがすごいと認めることは難しい。
これまでの人生の経験を振り返ると、私は「定量的な結果を残し、多くの人にその結果を認めて欲しい」という承認欲求があるみたいだ。
◇「何もしないことを馬鹿にされる」過去
なぜこのような承認欲求を持つようになったのか、それは高校1年生の頃に原因となる経験があると思う。私はこの頃ある友達に「お前なんもしてないやんけ」とよく馬鹿にされていた。その友達は典型的な体育会系だった。彼は自分と比較してなんでも評価をつける子であった。野球部やテニス部などの友達には「お前毎日朝練頑張ってるな/大会で結果出せてるやんおめでとう!」といったり、勉強がすごい得意な子には「〇〇賢いな、すげー!」と褒める。しかし、部活に所属せず勉強もろくにできなかった私には「お前なんもしてないやんけ、腹たつねん」と馬鹿にしてくる、というかキレてくる。トラブるのが面倒な私は言い返すことなくその言葉を避けていたが、内心は「生き方なんて自由やろ!口出ししてくんなや💢」と思っていた。
その後陸上部に所属することになる。それまでの自分とは違って、日々コツコツと練習をこなしていたが、それでもその友達は「大したことないな」と貶してくる。確かに陸上部の練習は、1回1回の走りの精度を高めるためレストが多いものであった。その姿を見ての言葉だったと思う。私としては運動部に所属して日々真面目に練習しているのだからもう馬鹿にされることはないだろうと思っていたのがそれでも馬鹿にされるなら、誰もがすごいと言えるような結果を残そう!と決めた。それが「リレーメンバーになる」というものであった。
(その後リレーメンバーになったり、試合で結果を残せるようになってきたら、その友達も褒めてくれるように、いい子!笑)
◇「満足」を感じるために
私の「'満足'する結果」とは、「どんな人にも簡単に納得できる結果」だとわかった。その結果には「定量的」に判断できる要素も大事だとわかった。
しかし、私の憧れの人である嵐をみると、必ずしも「定量的」要素だけが大切ではないのではないか。例えば、彼らの持つレギュラー番組。嵐はゴールデンタイムにVS嵐・嵐にしやがれの2つのレギュラー番組を持っている。この事実の凄さは、誰しもが認めることではないだろうか。つまり、認知度の高い業界においてなら定量的でなくとも誰しもからすごいと言われる結果を残すことができるわけだ。
これらを総合すると、私が「'満足'する結果」を残すためには
定量的判断ができること×認知度の高いフィールド
という要素を大切にすれば良さそうだ。
私は、来年の4月から広告代理店で働く。小さい子供からおじいちゃんおばあちゃんまで目にする「広告」というフィールドで、クライアントの商品の売り上げを伸ばす仕事は、これらの要素にハマっていそうだ。実際に働いてみないとわからないが、自分が「'満足'する結果」を残したい。
他に、こんなことでも満足できるんじゃない?というアドバイスがあれば聞きたいな!
◇(まとめ)'満足'の言語化=豊かな人生を送る近道
今回は私にとっての満足を言語化してきた。言語化していく中で、この作業はこれから豊かな人生を送る上で一番最初にすべきことだと感じた。もしかしたらあなたの今していることは満足する結果につながらないかもしれない。人それぞれどういったことに満足できるのか、ゴールを明確化することで、そのゴールに向けて自信を持って進むことができる。より一層豊かな人生を送る近道なのではないだろうか。
さて、ここまでを読んで、こんなことでも満足できるんじゃない?というアドバイスがあればお聞きしたい。
またあなたにとっての、満足とはなんなのだろう。共有できると嬉しいな。
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