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慣れ親しんだ習慣と習慣化の困難性

習慣となったことを続けるのは容易く、習慣を手放してしまうのも容易い。
そんなことを感じている今日この頃である。

小さい頃、母にあなたの朝の動きは囚人のようだと言われたことがある。おそらく17 、18歳くらいまで私は神経質なところがあった。朝、分刻みで支度をして、夜、癒しのお風呂タイムでも分刻みのスケジュールをこなしていた。
(例えば、お風呂に浸かるのは3分、髪を洗うのに5分、身体2分、顔1分、また浸かるのに3分、予備1分で計15分、出て身体を拭いて、服を着て、リビングに戻るまでで20分とする といった感じである。朝の支度も同様である)
この分刻みのスケジュールというのは私に安心を与えていた。無駄に何かを考えなくてよいのである。習慣化すればこれも全自動運転のため、なんのストレスも感じない。

私は踊ることをしていた。去年の夏くらいまで。4歳からモダンバレエを始めて、それから引っ越しやら経済的事情やら受験やら就職やら色々あったが2週間全く踊らないということはほぼ無かったと思う。踊りは習慣として私の生活の中にあった。

カッコいいようなことを書いたが、踊りで稼いでいたわけでもなく、プロになりたいなんて夢は小学校中学年くらいで捨てたし、レッスンは真面目に通っていたが、真面目に踊りのことを考えたこともあまりなく(全くないとは言えないが)、ほぼ惰性で、楽しいから、そして続けていると安心するから、その理由のみで続けていたような気が今はしている。
そのような習慣化した行動は続けることは容易い。やめるという決断をするのには大きなエネルギーを要する。

偶然怪我をしてしまい(怪我に偶然という言葉を使うのが適切かは分からないが)
踊る習慣をやめてしまった私だが、習慣を手放してしまうのはなんとも容易いのだろうと感じている。
怪我をして最初の1ヶ月はそわそわしていた。医者に安静にしろと言われたため安静にしていたがレッスンに行かなくていいものか、考えていた。
そこから数ヶ月、踊らない生活に馴染んできた。筋肉が落ちて足が細くなった、がお腹がプニプニしている、がまあいいかと思ってしまう。また何かを始めるには腰が重く、身体も重い。

そこから数ヶ月、少しずつ何かをしようと思い始めるが習慣化する困難に直面している。
何かをはじめて、続けるとはこんなにも難しいのか。
こんな思いをするのならやめなきゃよかったなあ、と思うのである。仕方がないが。

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