見出し画像

出張でくる日本


出張で日本に来たのは初めてだ。

これまで、たとえば上海出張のあとに、チームや上司が「せっかくすぐそこまで来てるんだから、家族に会って帰ったほうがいい」と日本に立ち寄らせてくれたことはあった。
それはたまたま東京の母が大怪我をして病院に運ばれたというタイミングでもあり、「東京オフィスと郊外の工場に1日ずつ顔を出してくれば残りは休暇でいいよ」と上司はいってくれた。

いまの会社では、そんなことは許されまいと覚悟していた。
それに、これまでだって、海外出張ではいつも、現地時間の朝から夕方まで働いたあと、イギリスやらアメリカやらと会議が入っていて、気づいたら朝1時なんてザラだった。

出張で行く日本。
しかも実家のある東京はほぼスルー。
西や東へ3週間。
気が重いなあ。
そう思っていた。

今回の出張が特に違って思えた理由は、とっても日本的なチームと初めて対面する緊張感。
そして、日本に来るのも、日本の工場を訪ねるのも初めてだというアメリカ人二人とイギリス人一人と一緒に行動する予定だったからだろう。

日本人であることをきっと言外に求められるだろうけれど、もはや私はきっとあんまり日本人ではない。

でも、その期待を無視できるほどにガイジンでもないのだ。



「あれ、なあに?」

ナンシーが大型タクシーの窓から指したのは、一面に広がる稲穂の波だ。
台風のせいか、やや倒れている部分はあったものの、それでも、さわさわと黄金色に輝く稲穂が頭を垂れる情景は、長い間、秋の日本に来ることがなかった私にとっても、とても染みる。

「あれはライスフィールド。今まさに収穫の時期で、黄金に輝くのが稲穂なの。あれをコンバインで刈り取るの。その先に、刈り取った稲穂を干している山がまるでアメリカなんかでみるヘイスタックみたいに見えるでしょう?これが私達にとっての典型的な秋の風景なのよ」

私は続けた。

「見渡す限りのこの広さがいっぺんに収穫の時期を迎えるけれど、アメリカみたいに一つのいえが巨大な田んぼを所有しているわけじゃない。だから、お互い農家たちがみんなで助け合って収穫をするのよね。それがいわゆる共同体意識を生んでいるともいわれるの。たとえばサムライのパワーを示すのもその藩における米の採れ高だったし、米もそれを加工した酒もカミに奉納される。いわば日本人の精神文化の底辺を担うのが米なのよ」

東北にあるその工場に来るまでに、すでに他の工場を一緒に訪問していた。
だからアメリカオフィスから来ているメンバーが、ただ仕事相手としてではなく日本という国の文化的な部分にも関心があると感じていた。

なので、なにか質問されたときには、ただそれに答えるだけではなく、その少し先まで情報を与えるようにこころがけていた。

日本のオフィスからコーディネーターとして参加していた若手女性社員が、
「外国事情に強いと思ってたら日本のこともいろいろご存知ですね」

と私にいった。

「そうね。自分たちの文化や、自分たちが何者なのかについての知識って、海外とやり取りするのには意外と重要だと思うよ」

私はそう彼女に答えた。



工場では、生産している製品のサンプルを、試験場に持ってくることになっている。

「サンプルが試験場に届いたとき、それが正確に指定した量渡されているか、確認していますか?」

ナンシーが、定形の質問をすると、工場の人が、少しとまどったような顔をしながら回答する。

「いえ、製造にはあらかじめ抜き取る数量を指定していますし袋にも書いてありますから、それをあらためて確認することはしていません」

日本人的には、そんなところに間違いがあるわけない。だから、なぜそんなことをする必要があるのかという怪訝な表情だ。

でも、人間は間違いを起こすものという前提でプロセスを描く西欧文化からやってきたナンシーが納得がいかない顔をするのもまた、わたしにはよく分かる。



帰り道。
ふたたび大型タクシーに揺られて、稲穂の間を走りながら、私は問わず語りに話しかけた。

「みんなで一緒に稲を育て、刈り取って、助け合わないとならない共同体においてはさ、共同体の仲間を疑うなんてっていう意識が日本人には根本にあるんだよね。
工場を見てもわかると思うけど、どの建屋も、日本人じゃない労働者はまったくいなくて、作業文書も日本語だけでしょう?だから、何重にも確認をするという視点そのものが彼らにとっては新鮮な指摘だったと思うよ」

ナンシーもマイクも、日本的な視点を分かってくれようとしていたから、私がいわんとすることを感じ取ってくれたと思う。



かつて多国籍企業のグローバルプロジェクトで海外を渡り歩いていたとき。
そのメンバー自体が多国籍だったし、「異文化に出会う」ことに慣れた仲間ばかりだった。
それが、この新しい会社に移ってきて、再び、文化の架け橋となる存在の必要性を実感することになった。

特に今回の出張は、自分がこれまで経験し得たものを活用しろということなんだなと感じることが多かった。

中学校のとき、担任の先生に言われた「英語は道具です。英語そのものや英文学の作品を研究したいというのでもない限り、英語で何を話すのかこそが大切なんですよ」ということばを思い出す。

まったく違う文化的背景を持った海外のひとたちと話すには、ただ逐語的に言葉や行動を翻訳するのではなく、日本人が当たり前と思い、つい説明を省いてしまうような部分をしっかり埋めて、その上で、どうして行動や発想が異なって現れてしまうのかを意識することが大事だと思う。
同じように日本の側にも誰かが、否定されているのではなく発想が違うからなのだと隙間を説明してあげるべきなのだ。

しっかり歴史や商習慣や文化的な観点を両方とも分かったうえで、片方から見た場合はどう見えるのかを想像し、そしてそれを双方にきっちり説明できるかどうか。

私はコーディネーターや、通訳として同行したわけではない。
あくまでヨーロッパ側のオペレーションの代表としていったのだけれど、ついついその隙間が気になって、いろいろと立ち回ってしまった。

疎まがられるかと心配もあったけれど、結果として、日本側からもアメリカ・ヨーロッパ側からも助かったといってもらえた。
それは純粋に嬉しいことだった。



久しぶりに「ロスト・イン・トランスレーション」という映画が観たくなった。

映画では、男と女、夫と妻、日本とアメリカ、ディレクターと演者といったいろいろな異なるもの同士が、お互いから受け取ったものを、消化し理解する過程での誤解や喪失感を描いている。

でも、ほんの少し深掘りした知識と、想像力と、そしてなにより、相手側を分かりたいと思う愛情があれば、その交流は桁違いに有意義なものになる気がする。

日本のスタッフの熱意や、ナンシーたちの熱意は、その「相手を分かりたいと思う愛情」を感じさせてくれ、ちょっとだけ仕事や役割に対してナナメになっていた最近の自分に、少し薪をくべてくれた。

体力的には、ああ日本ってそうだったなあと思うような長時間過ぎる労働と夜のおつきあいで、しんどかったけれど。

出張でくる日本も、そんなには悪くないのかもしれない。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。