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外食の醍醐味

いまから5-6年まえのこと。
いつもはマルセイユ空港からレンタカーを借りて友達の住む町へとくだっていくのだけれど、ふと思いついてニース空港に飛ぶことにした。

以前訪ねたコートダジュールをたどって、それから友達の家をおとずれるといういつもとちょっと違うルート。

せっかくそこまでいくのなら、そうだ、あの素敵だったマントンの町と国境を越えたイタリア側の町ヴァンテミッラにもいっちゃおう。

ヴァンテミッラで立ち寄るのはPasta & Bastaというレストラン。

その前のコートダジュール訪問は友達の住む町からの小旅行だった。たまには足を伸ばそうと、グラース、アンティーブ、ニース、マントンと車を走らせた。そしてその勢いでフランス・イタリア国境を越えたのだ。

イタリア側の町、ヴァンテミッラの市場でパスタや乾燥きのこを買い漁ったあと、店のおばさんに「この辺で子供を連れてランチを食べられるおいしいお店を」と教えてもらったお店がPasta & Bastaだ。

20年ほど前、原宿の東郷神社ちかくにバスタパスタというお店があって、ボーイフレンドとよく行っていた。
名前をきいて急にそんな懐かしい思い出がよみがえって、少し胸くるしくなり、そして親しみもわいた。

イタリア国境のその店は、大きなオープンキッチンがあった東京のレストランとは対象的で、地元の家族連れが気取らずグループで盛り上がりながらテーブルを囲むようなこぢんまりとしたお店だった。
ご主人が友達の息子にいろんな形のパスタを持ってきてくれたりと家庭的な雰囲気で暖かい。
もちろん味もとても良かった。

その時はランチだったが、この時はディナータイム。
なぜなら、その翌日のランチを食べる店は決めていたからだ。

それはネットで偶然見つけた店だった。

国境のフランス側。
レモンで有名なマントンの高台から海を見下ろす絶好のロケーションに建つ、Mirazurというレストランが紹介されていた。

景色がいいのでランチがおすすめだとコメントがついた写真。
そのテーブルの上のお皿もさることながら、テーブル越しにみえる窓からの海と空の青の美しさに、強烈に惹かれてしまったのだ。

予約しようとお店のサイトにいって、ミシュラン二つ星なことに気がついた。

ランチだしそこまでおしゃれしなくても大丈夫だよね、と、歩きやすいサンダルだったので、腹ごなしをかねて海岸沿いのホテルから歩いていくことにした。
道はどんどんと急になり、これじゃイタリアに入っちゃうよという山道の果て。
岩肌にがつんと国境線がかかれた、まさにあと一歩でイタリアという場所に、その店は立っていた。

私たちは汗だくだった。

しかも入り口がよくわからず、道路側の窓ガラスから中を覗き込んでしまい、慌ててサービスのひとが出てきてくれたので、かなり恥ずかしかった。

けれど、そんなことまったく関係ないとでもいうようににこやかに招き入れられ、そして案内されたのは、あの写真で見た海側のテーブルだった。

見渡す限りの空と海。
真下には国境を越えて走る電車の線路。こんもりと茂ったレモンの木々。

ゼイハア上がっていた息が落ち着き、渇いた喉を炭酸水で潤し、そこへ出されたパンの、地に足のついたおいしさ。
そして、それに続く、一見シンプルにみえ、しかし口に運ぶとほわっと世界が広がる料理たち。

なによりも、とにかく食べ手を緊張させたりせず、楽しい経験をして帰ってもらおうというサービスのすばらしさが一番印象に残った。
「また来たい」
ひさしぶりにそう思うお店に出会った。

それから、ニース経由で友達の家にいくことが増えた。

「すごいね。慧眼だね」

日本に住んでいるタマエちゃん(仮名)からメッセージがきたのはそんなときだった。
私がとにかくいろんな人に大プッシュしていたMirazurがミシュランの星を増やし三つ星になったばかりか、世界のベストレストラン50で首位を獲得したのだという。

なんだかとっても嬉しかった。

お皿の上に乗った食べるものそのものがおいしいこともあるけれど、
テーブルから眺める景色の美しさもあるけれど、
なによりも、サービスのひとたちと会話を交わしながら、そこで時間を過ごすという体験そのものが素晴らしい。

それが、私が、わざわざレストランにでかける一番の理由な気がする。

Mirazurが栄冠を得た2019年。
当然の結果として、予約がまったく取れなくなってしまった。

「まずレストランの予約をしてから、それに合わせて南仏に行く予定を決めないとならないね」などといっていたら。
フランスに行くことすらままならなくなってしまった。

コロナが世界をひっくり返し、私は、台所の食器洗剤の減りの速さで、いかに外食をしていないかを実感した。

もちろん、家で食べてもおいしいものはおいしい。

でも、食べ物と環境とサービスとがからみあって提供される「経験」としての外食というのは、たとえば、生で見る舞台や演奏会と同じように、パワフルなものだと思う。

ひとつひとつを覚えていなくても。
一皿一皿写真を撮ったりしなくても。

ああ、なんておいしく楽しい経験だったんだろうね、といいながらレストランを出る時のあの気持ち。
それこそが、外食の醍醐味なのだと思う。

少しずつ、少しずつ、外食をしたり、劇場にいきはじめた。
ロンドンは、徐々に、「前のすがた」を取り戻しつつある。
すくなくとも、表面的には。

Mirazurは改装中で、こんどいつ行くことができるのかはわからないけれど。

レモンの実が光る丘をてくてくと上り、
真っ青な空と海を見下ろしながら、
キリッと冷えた白ワインを飲み、
おいしいものを食べられる日が

楽しみでならない。





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