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再出発とは

思いがけない母娘旅の3泊目は、福岡市内から少し足を延ばし温泉へ行った。

せっかく日本に滞在しているのだから、やっぱり温泉に入りたい。

と、いっても、熊本や大分と違って、あまり福岡には温泉のイメージがなかった。
移動時間があまりかからず、お湯の評判がいいところ。
できれば、ザ・日本旅館という風情のところへ奮発して泊まりたい。
そう思って、検索をすると、みつかったのが筑紫野市の二日市温泉にある「大丸別荘」という旅館だった。

なんでだろう。
行ったことはないはずなのに、なぜか聞き覚えがある。

そう。
それは、浴槽の湯の交換や清掃を怠り、宿泊客がレジオネラ症にかかったことで、湯の中にレジオネラ属菌が基準の3700倍もあったことが発覚した宿だった。

同じ名前で営業を続けているのか。
ということは、よくある再生企業にでも買い取られたのだろうか。

ホームページには是正計画についての詳細が書かれていた。

ならば、むしろ他よりもきちんとしているんじゃないか。
そう思って、友達に、その宿にいきたいと話し予約した。

志賀島から博多バスターミナルを経由して高速バスで30分ほど。
あっという間に筑紫野にたどり着いた。

高速の高架から長い階段を降りると、すぐ脇は4車線に大型車が走り抜けていく幹線道路だった。

思っていたような閑静な山の中の温泉のイメージとはかけ離れた様子に、しまった、これは失敗かと後悔しつつ、地下道でその幹線道路の反対側へいくと、そこに宿の入り口があった。

立派な玄関。

チェックインの冒頭、まずフロントの係の方から謝罪され、その後の「取り組み」が書かれた封書が手渡された。
また、部屋に案内をする和服の女性からも謝罪。

騒動は2023年の3月ころだから、1年半が経過したことになる。
もちろん湯を売りにする温泉旅館において、致命的な問題があったわけであり、前社長のことを思えば、その影が残るのもわかる。

けれど、なんだか、かわいそうになってしまった。

部屋まで歩く間に目にするあちらこちらのしつらえに、こまかな竹細工をつかっていたり、ガラス彫刻があしらってあったりで、おそらく趣味人の贅沢な保養地であったろうことがうかがえた。

それに、ふと考えてみたら、あの外の喧騒がまったく聞こえない。
窓から見えるのは木々だけ。
聴こえるのはセミの声だけ。

長い歴史をもち、多くの文化人に愛されてきたというのもよくわかる。

通された部屋は、床は毛氈ではなく足に涼しい簾敷き。障子も紙ではなく風が通るすのこ仕立てだった。

ちゃんと夏冬で仕立てを変えているのかしらね。
みんなお部屋の造作を入れ替えるだなんて、大変でしょうに。相当手が込んでいるね、と母がいう。

部屋が深く広いので、廊下から離れており、他の客の気配がまったく気にならない。
博多からたった40分でこの平安。
それだけでもやって来た価値がある。

さっそく浴衣に着替えて、大浴場へ。

趣のある大画面の脱衣場に、やや不似合いなほど大画面のテレビに。
映し出されているのは、清掃作業と塩素濃度検査の様子。

この宿はきっといま、日本で一番清潔な浴槽とお湯を維持している旅館のひとつに違いない。

でも、ここにいたって、かわいそうを越えて、なんだか痛々しくなってきてしまった。

お風呂自体は、とてもすばらしかった。

古い旅館の女湯にはありえないゆとりたっぷりの広さと洗い場で、深さも幾通りもあるので、寝湯にしたり、肩まで浸かったり、自分の好みの入り方で楽しめる。

いちばん深いところは90㎝もあるようで、そこには大きな玉砂利がしかれている。
年寄りには不安定かもしれないが、私にとっては健康足裏マッサージのようで心地良かった。
お湯はトロリとしつつも、柔らかく、ぽくぽくと温まる実感があった。

翌朝。
前夜激しく降った雨で、訪ねられなかった日本庭園を歩いてみる。
7時前後だというのに、もうすでに砂には竹ぼうきのあとがあった。

朝早くから掃き清めていたのに違いない。

庭から見回すと、3500坪の庭だけでなく、ぐるっとそれを取り囲むこの宿の広大な規模がよくわかる。

「いろんなところに細工もあって、季節ごとに入れ替えるものもたくさんあって、それを維持するだけでも大変なのにね。
このお庭だって、手入れしていくだけでも相当に手間もお金もかかるだろうに。」

母がそう言いながら松の木を指す。

「本当は松は一本一本手で手入れしていかないといけないから、ほら、真ん中の以外はやっぱり手入れがあまりされてないみたいね。
それでもあまり目立ちはしないようにちゃんとしているけど。

お部屋もね。本当だったら、きっと床の間にはきちんと花器があって、昔だったら生花を入れ替えていたんでしょうよ。
だけど、今回のことなのか、コロナなのか。骨董はお金が必要で売っちゃったんじゃないのかしらね。
渡り廊下の花挿しにも造花が入っていたし。もったいないわよね。」

コロナで客が減り、清掃や殺菌がおろそかになっていったのだろうか。

そして、またこの騒動で、客足が途絶えた時期があり、手入れがままならないのだろうか。


再出発を支えるというのは、行って、使って、お金を落とすということのような気がする。

「ああ、あのお店閉まっちゃうのね。いいお店だったのにもったいない」

そういう人に限って、でも、その店でお金を落としたことがなかったりする。
惜しむんだったら、訪ねるべきなのだ。
惜しむんだったら、支えるべきなのだ。

報道に気づいたときには、どうしようか悩んだけれど、
この宿にしてよかったと思った。
それは、ただ同情心からではなく、その結果として、こんな福岡からアクセスのよいところにあってお湯も素晴らしい一流宿のことを知ることができたからだ。

また日本にまとまった時間やってくるときには。

今回、一緒に旅することが叶わなかった友達と、あらためて福岡旅行の仕切り直しをしようと思う。
そして、その時にも、この大丸別荘をぜひ訪問したい。

だって、その価値がある宿とお湯だったから。


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