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ヒッチハイク

子供のころ、環状八号線から東名高速に乗る入り口のところには、よく段ボール紙に「名古屋」とか「静岡」なんて書いた紙をもったひとがたっていた。

この前のお正月日本に帰省した時、同じところを通ったら、久しぶりに紙をもって立っているひとがいた。

「FUJI」

ささっとみたら、どうやら日本人ではなかった。

あのひと、無事に富士山までたどり着けたんだろうか。

私は、これまで、人生で一回だけヒッチハイクをしたことがある。

といっても、手を挙げて車を停めたのも、フランス語で交渉をしたのも一緒にいた友達で、そのときはとにかく特急列車を乗り逃がしてはならんと必死だったから、無我夢中だった。

あとから、

「あそこでヒッチハイクとは、えらく思い切ったよね」

と、友達にいったら、彼女は

「若い女のひとが一人で乗っていたし、車も素朴なのだったから乗せてくれるかなと思って」

と、実はしっかり安全判断をしていたようでさすがと尊敬してしまった。

ヒッチハイクをされたことは、2回ある。

一回は去年、アメリカ妹のひとりジャネルとアイルランドにいったときのこと。

西アイルランドのものすごい田舎道(アイルランドは、ブリトン島に面した東にダブリンやコークといった大都市があり、西は高速もあまりままならない感じなのだ)を走っていたら、若い女の子が二人で手をあげていた。

ジャネルが「停めてあげよう」といったので、私は車を寄せ、彼女たちを乗せた。どうやら東ヨーロッパから働きに来ていて、まだあまり英語を話せなかったようだった。
なので、あまり会話にもならなかったが、降りたい場所で合図をくれたので、そこで降ろした。

「私さ、ナミビアにいたとき、移動はみんなヒッチハイクだったから。なんか似た感じの若い女の子だとやっぱり乗せてあげたくなっちゃうのよね」

ジャネルは、ちょうど私が日本語を中西部で教えていた時、ピースコープを通じボランティアとしてナミビアで英語教師を2年間やっていた。
そして私たちは二人ともそのあと大学院に進学することにしたのだ。

もうひとつのヒッチハイクは、コロナの前。
十和田湖でのことだった。

私の育った学校は、中学校のときに東北に修学旅行に行く。そして、革靴、制服のまま奥入瀬渓流をハイキングするのだ。

久しぶりに日本に帰ったときに、あの奥入瀬をみたいな。
そう思って、両親と3人ででかけることにした。

と、途中、景勝地の滝のところで写真を撮って、レンタカーに乗り込み、車をだしたとき、突然その前に若い女性が二人身を乗り出してきた。

「おっと」

運転をしていた父がブレーキを踏むと、そのひとりが、運転席の窓に駆け寄った。

「あの、あの、英語は話せますか?」

父は、助手席にいた私に目をやった。
私は、

「大丈夫ですよ。英語わかりますから、なにか問題があったんですか?」

と一見日本人のようにみえる彼女たちに返事をした。
母は後ろの席から乗り出して、なになにと様子をうかがった。

「実は、私たちは台湾から旅行に来ていて。路線バスで、この滝のところで写真を撮って、次のバスに乗ろうと思っていたんですが…」

ところが、写真を撮ろうとして、カメラどころかすべてはいったリュックサックを座席の下に置いたまま降りてしまったと気づいたのだそうだ。
あわてて、ネットで検索したバスの営業所は、英語が通ぜず電話を切られてしまった。

しかしどうにかバスに追いつきたい。
と、老人二人に、ぼんやりしたおばさんが乗った安全そうな車がちょうど発車しようとしている。
つい、思わずその前に飛び出してしまったのだという。

そこで、旅好き、時刻表好きの父親の登場である。

「ああ、ってことはたぶん子ノ口で追いつけるな」

とりあえず狭いハッチバックのレンタカーだけれど、乗りなさい。
そう父はいい、母を挟んで台湾人の二人はぎゅうぎゅうに後部座席に駆け込んだ。

「営業所に日本語で問い合わせしてあげなさい。届いていたら取りに行くからっていったほうがいい」

私にそう申しつけると、父は思い当っているらしい、バスの行先へと車を発進させた。

「…はい、はい、わかりました。ありがとうございます」

外国人の旅行客がバスに忘れ物をしたらしく、たまたま出くわして助けている。さきほど雲井の滝を出たJRのバスらしい。席は運転手さん側の3列目。

電話にでた営業所のひとに説明をすると、しかし、もしも忘れ物があった場合は、運転手さんは、必ず終点までいって、そこの営業所のところで手続きをすることになっているという。

と、その会話を聞いていた父は、すぐに

「終点か。ってことは、休屋だな」

まるで自分がバスの運転手かのようにすぐそれがどこかわかったようだった。

奥入瀬が十和田湖から流れ始めるところ、それが子ノ口。
そこから十和田湖沿いにさらに10分ほど走った終点が休屋。

こういうとき、ほんとうに父の旅行博識ぶりには感嘆してしまう。
日本だったらたいていの観光地の主要なスポットが頭に入っているのだ。

「誰かが持って行っちゃってたらどうしよう」

後部座席では、心配そうに二人が相談しあう。

本当はそのあとバスで八戸に戻って、新幹線に乗り、今夜の宿は北海道なのだという。
切符もそのかばんのなかだし、見つからなかったらどうしよう。

彼女たちのことばを日本語にし、両親のことばを英語にする。

母は、私が彼女たちの言葉を訳すと、少しためらいがちにこういった。

「日本だし、誰かが持って行っちゃうなんてことないわよっていいたいけど、最近のこの国じゃあそこまで自信をもっていえないのよねえ。寂しいことに」

そして、小さなレンタカーはバスの営業所とおみやげ屋のある休屋の停留所に到着した。

二人は、猛ダッシュで建物の後ろに何台も並んで停まるバスの波へむかっていった。

と、ちょうど、停められたいくつものバスから降りてきた運転手さんがいた。若いその運転手さんは、台湾人の二人の走ってくる姿を認め、そして手に持っていた小さな水色のリュックサックをスッと持ち上げた。

「あああああーーーー!」

距離はあっても、その歓声が耳に入った。

ああよかった。
なんだか、日本という国の信頼をたもてたような、奇妙な安心感だった。

「記念写真を撮らせてください」

私たち親子と、台湾人の二人で、休屋営業所前でハイチーズ。

「たぶん、一番の思い出がこれになると思います。本当にありがとうございます」

サンキューを理解した母は、よかったよかったとうなずきながら、こう返した。

「昔、私がこの娘と台北に行ったときにね、地図をもって看板をみているだけであっという間に誰かが必ず来てくれて、道を教えてくれたのよ。だから、これは台湾への恩返しだわね」

そんな話をしている間、父は、バスの時刻表と新幹線の時刻表をみていたようだった。

「あと5分でまた奥入瀬を戻るバスがくるから、それで八戸に行けば、ちゃんと新幹線も乗れるよ」

私たちは、そのバスが停留所を離れるまで手を振って見送った。

もちろんヒッチハイクには危険だってともなう。

あの日ボルドーで友達が運転しているのが女性だと確認したように、きっとアイルランドの東欧のおんなの子たちも、乗っているのが女性だけだと確認をしていただろう。

そして十和田湖で人畜無害な老夫婦とおばさんが乗っていた車も、きっと安全そうに見えたろう。
そして、そんな風に、助けてもらえるだろうと思ってもらえることも、助けられることも、とてもうれしいことだと思うのだ。

その後、台湾からはお礼状が届いた。

「私の家族に話したら、そんなにいろんなことをしてもらったなんてといわれました」

と、一緒に撮った写真が入っていた。

そんなことを、トルコを大型バスで横断しているとき、なんとなくジェニーに話した。

「へえ、ジャネルはナミビアでヒッチハイクしてたんだ。ぜんぜん知らなかった。私はこれまでヒッチハイクなんてしたことないなあ」

まあ、しないで済むなら、それに越したことはないのかもしれないけれど。




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