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エンパシーとシンパシー

EmpathyとSympathy。
同じように「共感」と訳されることの多いこの二つ。でも、大きく違う。

英語を母語とする人たちの間でも、不明確なことがあるのか、昔の会社のリーダーシップ研修のなかで、短いアニメを観たことがある。
その映像を、最近よく思い出す。

キツネが悩みと痛みを抱えて、穴を深く掘り、暗い冷たい穴の底に沈んでいるとき。

クマは、エンパシーをもって、自分もその穴におりていく。
うんうん、つらいね。
俺もおちたことあるからさ、わかるよ。
ここは暗いね。

シカはシンパシーをみせながら、穴の上からキツネを見下ろす。
わあ、なに、そこ、大変じゃん。
サンドイッチ食べる?

誰かがつらいといったとき。
それがどんなに「自分から見たらたいしたことじゃない」としても。
それが自分には「でも、XXの面では恵まれてるじゃない」と思えても。

その人にとっては世界が暗黒におちいるようなことなのだとしたら、
自分の価値観で判断をくだすことは、いっかいよそにおいておいて、

それは、そうなんだと、ただひたすらに受け止めて、

ひととき、一緒に穴の中で過ごす。
それがエンパシー。

すごく難しいし、どの相手にもすべてできることでもない。

だけど。

自分がしてほしいことを、他のひとにもしよう。
自分がしてほしくないことは、他のひとにもしないようにしよう。

自分が、ごく少数の、心を開いた相手に求めているのは、エンパシー。
だから、自分の、大切な誰かには、私からも。




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