今まで愛してきたものたちについて考えていた

今まで愛してきたものたちについて考えていた。

好きだった音楽、映画、大切だった推し。私はいろんなものを愛してきたれど、それのどれもこれも、ほとんどのものは過去のものみたいになっている。

手に入れれば手に入れるほど遠ざかる気がした。愛しいや尊いを腕のうちに閉じ込めて、そこで得たものとはなんだったのだろう。結局、どれもこれもが腕の隙間からすり抜けていってしまった。

「愛するもの」が「愛していた」ものになる瞬間。過去に愛するものが置きざりになる瞬間。それはひどく寂しくて、絶望的なほどに無感情になる。そしてやがて、愛していたことが「傷」になってしまったりもする。黒歴史って、そういうことよね。

なにものかへの愛が過去に置き去りになることを止めることはできないのだろうか。ずっと考えている。私の言葉が古くなっていくように、愛情もまた古くなってしまう。そして、いつのまにか手元からすり抜けて、「かつて愛していた存在」となってしまう。

どうすることも出来ないのだろうか。私にはわからない。きっと答えを知っている人はいる気がする。でも探す気にもなれない。

これからも多分、何度も何度も今の「愛してる」を過去に落っことしていってしまう。落とさないように気をつけても気をつけても、いずれは何もかもが置き去りになる。

それが悔しくて切なくて仕方ない。何も置き去りになんてしたくなかった。でも、私は何もかもを過去に落として歩いている。振り返れば、がらくた同然になった愛情達がごろごろと転がり落ちていた。

永遠に冷めやらぬような恋や愛がほしいと思う。二度と古くなどならない、鮮烈な恋や愛を感じていたいと思う。そんなのは無理だとわかっていても、ロマンチシズムに溺れずにはいられない。だってそうじゃないと、過去に落としてきた愛情たちに首を絞められて殺されそうだから。

あなたはどんな愛情をこれまでに手中に収めてきましたか。そして、どれほどの愛情を過去に置き去りにしてきましたか。

別にそれが罪だとか罰だとかそういう話ではないんだけれどね。

でも、苦しいよ。愛してるものが愛せなくなるのが。「愛していた」って過去形になるのが、私には耐えられないんだ。いつだって、貴方のことを愛していたいはずなのに。気づけば落っことしてしまう。あなたのことがどうでも良くなる瞬間に立ち会う私の気持ちは、きっと誰にも理解できないだろうな。

それでも、愛することはやめられないよ。例え何もかもが過去に置き去りにされたって。どうでも良くなる瞬間に恐れ慄いてしまったって。愛してるって叫ぶのはやめられないんだ。

愛するものに出会うのが私の人生だから。「かけがえのない」を何度も繰り返すのが私の人生だから。落っことして落っことして、でもたまに拾い上げて微笑んで。そういう生き方しか、これからもできないと思ってる。
 
これからも、愛しいと虚しいを繰り返して、生きていくよ。ちゃんと、今ある愛情を一生懸命見つめて、生きるよ。いつかどうでも良くなっちゃう日まで。とことん愛するから。

だから待っててね。だいすき。

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